極上の鮎料理

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根津くらぶの「 富山県庄川の鮎を食す会」 に参加。
前回の「鴨料理」に味をしめ、今回も参加。当日申し込みでどうなるかと思ったが、滑り込みセーフ。
テーブルの真ん中にしつらえられた大きな鉢で泳いでいるのは、鮎ではなくて金魚。これは食用にあらず。

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前回、鴨を背負ってこられた富山の「清水亭」の松原隆一シェフ。
今回は「鮎300尾」をお持ちくださった由。
庄川という川は急流なので、こぶりで身がひきしまったおいしい鮎がとれるそうだ。

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お料理を運んでくださるのは、お花の柳澤先生。瞳生式いけばなの家元(創始者というべきか)。本日の花は明るい黄色。

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さて、一品目。
どじょうのから揚げには、山椒と塩がかかっている。違和感なくいただける。
それから、透明のスプーンにいれられてきたのは、鮎のお刺身。「背越」という料理法。薄く切ってあらいにしたもの。少し骨を感じるけれど、その骨もやわらかく、その感触は悪くない。じゅんさいが添えてあって、目にも涼やか。
しいたけときゅうりのごまあえも、やさしい味で、鮎をひきたてる。
それに枝豆がちょこんと添えられている。

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お造りは夏マグロと白海老の昆布じめ。
何のお魚かと思ったら、実は海老。美味。予想外のおいしさ。
マグロはもちろん、予想どおりにとてもおいしい。期待を裏切らない魚だ。

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そしていよいよ、鮎の塩焼き。
これ、これ、これを食べにきたのだと思いつつ、頭からかじる。
塩加減も絶妙。
そして、蓼酢(たです)がまたよく合うのである。
「たで食う虫も好き好き」ということわざで使われる「たで」であるが、千鳥酢とあわせて薄口しょうゆをほんの少したらした、という蓼酢になると、すばらしい味になる。

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それから、茄子と白だつ(芋の葉柄)の上品な煮物。
それにみょうがをさっと煮たものがのって、さらにさやえんどうが緑を添える。
鮎の味わいをより生かすような柔らかな味と歯ざわりが嬉しい。

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鮎はもう終わりかと思ったところに、揚げた鮎が出てきた。
これも、ナイスサプライズ。
もう少し食べたいと思っているところに出してくださる心遣い。
添えてあるさつまいもの揚げ物がまたいい味。

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締めは氷見うどんのぶっかけ。
冷たくて、つるつるとのど越しがよくて、なんともいえないおいしさ。

最後に白玉あずき。
残念ながら、写真を撮り忘れた。
上品な甘さの粒餡とつるつるの白玉。

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厨房での一枚。
イキのいい料理は、イキのいい人たちが作る。
緊張の中にも笑顔がある。
和やかな中にもピンと張った何かがある。

腕のいい料理人が真剣に作った料理をいただくのは、贅沢なこと、このうえない。
ひとつの料理に、どれほどの手がかけられているのか、料理教室を通してほんの少し知っているのでなお更だ。けれど、こういう贅沢は、もったいないとは思わない。

魂だって、ときどきは栄養補給が必要だろう。
いろんな栄養補給の方法があるけれど、おいしいものを食べさせて(自分の魂を)感動させてあげるのが、私は好き。

同好の士は多いとみえて、今回も満員御礼。

こんな鮎を育ててくださった富山の自然に感謝。
選んで運んでくださった富山のシェフに感謝。

魂が喜ぶと、自然に感謝の念が出てくる。
「自然に」というのがきっととても大事なこと。

ありがとうございました。


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歩く幸せ

アクセルスペースが柏に移転して数週間。
東京から柏に通うのはどんなものかと思っていたが、あにはからんや、実に快適。
(自費で通うとしたら、つくばエクスプレスが高いので、お財布的には快適ではないと思うが)

逆方向なので、まず間違いなく座れる。つくばエクスプレスはできたばかりなので、駅も新しいし、電車もきれい。そして、柏の葉キャンパス駅でおりてから、東葛テクノプラザまでの道がまた素敵なのだ。広々とした歩道は並木道になっていて、緑を楽しみながら歩ける。交通量もあまり多くないので、排気ガスもそれほど吸わなくてすむ。

バスもあるのだが、毎朝、毎夕、ここを歩くのが無上の楽しみになった。
朝、うぐいすの声を聞きながら、25分の道のりを歩く。着くころには、フレッシュな気分になっていて、心地よく仕事を始められる。そして、帰り、木々のにおいを楽しみながら、風にあたりながら歩くのも最高だ。

悩んでいるときは歩くのがいいとか、落ち込んでいるときは歩くのがいいというのを何かで読んだことがあるけれど、まさしくそのとおり。歩いているうちに、いろいろなことがクリアに見えてきたり、ふとよいアイディアが浮かんだりする。

歩くのは、まったくお金もかからず、設備もいらない。
自分のペースで、そのときの状況にあわせて、歩く。

歩く幸せ、歩ける幸せをかみしめつつ。


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鳥人間コンテスト

「鳥人間コンテスト」が、テレビ局の予算の都合で今年は中止。
来年は実施予定らしいが、とにかく今年の中止は決定らしい。

コンテストが中止になっても、機体を作って飛ばしたい人たちはいる。そういう方々にとっては、コンテストが中止になったからという理由で、自分たちが飛ばないということにはならない。学生さんの場合は、今年でなければできない、という方々もいらっしゃる。

「なんとか飛ばせてやりたい」という親心と熱意にあふれた先生たちがたずねてこられた。テレビ番組になっていなくても、衛星やロケットを飛ばしているように見えるNPOであるUNISECから、何かヒントを得られるのではないかと思われたらしい。

「作って、飛ばして、動かす」ことをやらなければ、工学教育として完遂しないのは、この世界でも同様。作っただけでは、それがちゃんと機能するかどうかはわからない。

ほとんどの大学では、これは学生さんたちのサークルのようなところでやっていて、お金も彼らやOBが工面するケースが多いのだそうだが、嬉々としてやっているというところがいい。

今年は、もしやるとすると、場作りも自分たちでやらないといけない。
何十キロメートルも飛ばすには、それなりの場所が必要で、たとえば海だったら、その期間はそこを通る船や漁師さんに迷惑がかからないようにしないといけない。鳥人間が着水した後、船で迎えにいかないといけないので、その船やダイバーの手配も必要だ。

テレビ局という大資本がバックにあってやっているときは、そういったことはテレビ局がやってくれていた。そのバックがなくなったら、やめるしかないのか。あるいは、自分たちでできるのだろうか。

機体は着々と完成に向かっているそうだ。
学生さんたちも、やる気満々なのだそうだ。

「今」しかできないことは、確かに世の中にはある。
チャンスは、いつも、まわりにあって、それをチャンスと認識できるかどうかで、未来がかわってくる。
ピンチはチャンス。これを機会に、バラエティ番組としての「鳥人間」から、工学教育としての「鳥人間」を目指すのも悪くないのではないだろうか。

どこで飛ばせるのか、それには何が必要なのか、どんな手があるのかわからないけれど、何とか、今年も「鳥人間」たちが元気に空を舞えるように祈りたい。


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さあ、才能に目覚めよう

自分の殻がコロンととれるような本があった。たまたま殻がとれる時期(つまりは、古い自我と思っていたものが破壊される時期)だったのかもしれない。

「さあ、才能に目覚めよう」
(マーカス・バッキンガム、ドナルド・クリフトン著、日本経済新聞社)という本で、この本を購入すると、ネットで「強み分析」(35分間で200問くらいに答える)へのアクセス権をもらえる。
(本を買わないと、できないようになっているようで、なかなか賢い販売戦略)

この本で何がよいかというと、
「弱みを克服することでは最高のパフォーマンスはできない」
「強みを生かせば、最高のパフォーマンスが楽にできる」
「人は変わらない」
ということを徹頭徹尾言い切っていること。

人は努力で変われるのだ、というのは幻想だということをここまではっきり言ってくれると、気持ちがよいし、実にさっぱりとする。

そして、「才能」は、「無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターン」なのだそうだ。

たとえば、自分より幼い子供たちと遊んであげるのが好きな人と、年長者といっしょにいるのが好きな人では、その「才能」が違っている。その才能が喜ぶような場所に身をおくべし、ということである。幼い子と遊んであげるのが才能なのに、気難しい人たちの顔色をみてばかりいないといけない職場にいたら、その人のパフォーマンスはあまりすぐれたものにはならないだろう。そして、とても大変な思いをして、時には病気になるかもしれない。

この分析をやってみて、いろいろと心が軽くなることもあり、発見することもあり、驚いたこともあった。
自分は、これまでどれほど「がんばって、無理して、努力して」、自分にはむいていないことを一生懸命やってきたのかということがわかるのは、ある種の癒しである。

自分に向いていることは、「苦労なくできる、やっていて楽しい、時間を忘れるくらい」なのだそうだ。

これからは、自分の才能を生かす方向で軽やかに生きていこう。
そして、他の人にもそうしてほしい。
そうすれば、「あー、自分の力が生かされている、発揮できている、嬉しい」と思って生きる幸せな人が増えていく。

自分が幸せで、まわりも幸せだったら、そんな素敵なことはない。

さあ、自分の本当の才能に目覚めよう!

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I DREAMED A DREAM

世界で多くの人が感動した歌声を聴いてみた。

Susan Boyle(スーザン・ボイル)さんの「I Dreamed a Dream」。

うーむ。
これはすごい。確かにすごい。

歌う前と後の審査員や聴衆の反応があまりにも違っているのが滑稽でもありリアルでもある。
歌唱力がすばらしいのはもちろんなのだが、そういうことを超えた何かすごいものが伝わってくる。

この人の生きてきた命そのもの、この人の魂が歌になっている、といったらよいだろうか。

コメントに、「涙が出た」というのがたくさんあるが、確かにそのとおり。
何度も聴いたというコメントも多いが、私も何度も聴いてしまった。そして、そのたびにちゃんと涙が出る。

選曲もよかった。
独身で「キスもされたことない」という求職中の彼女が歌う、悲しい歌詞は妙に心に届いてしまうのである。

I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living
So different now from what it seems
Now life has killed The dream I dreamed.

描いていた人生とはまったく違う、地獄のような人生。惨めな姿。

直訳すると、「人生は私の夢を殺してしまった」。
なんという歌詞だろう。

この人の力で、世界中がこのテレビ番組を知った。そうでなければ知ることもなかった人たちの顔を見、聴いたことのなかった曲を聴いた。

You Tubeの力、ネットの力をまざまざと見せつけられたような気もする。

そして、スーザンが「なりたい歌手」として名前をあげたElaine Paige(エレイン・ペイジ)さんが歌っている同じ曲をYou Tube で見て、「えっ?」と思った。同じ感想を持った人のなんと多いことか。

スーザンの歌のほうが、ずっと自然で心に届くのである。
エレイン・ペイジの歌は、上手なのだろうけれど、「ニセモノ」に聴こえる。聴いて感動するということはない。演技している歌、とでもいったらいいだろうか。

自分の歌、自分に合った歌を歌うのが一番だと実感。
スーザンは、「夢破れた惨めな自分」を歌いつつ、とても幸せそうに見えた。
エレインは、「夢破れた惨めな自分」を、つらそうな顔を作りながら歌っているように見えた。

「夢」は、人生のどこかで持った妄想である。
誰かに吹き込まれたかもしれないし、勘違いしたのかもしれない。
それが破れたとして、なにほどのことがあろうか。
また別の「夢」を持てばいいだけのこと。

大事なのは、本当の自分でいること。
自然体でいられること。

スーザンの歌声を生で聴いてみたい。
あの楽しいおしゃべりも。。。。

楽しみがまたひとつ増えた。

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難波菊次郎さんのこと

とても悲しいニュースを受け取った。

難波菊次郎さんご逝去。

アースウォッチというNGOを日本で立ち上げ、30年にわたって根付かせてきた実績とか、ビジネスでの成功とか、いろんなことはさておいて、本当に素敵な方だった。お話ししているだけで、こちらの「品性」があがったような錯覚を覚える、謙虚で礼儀正しくて、おしゃれでセンスがよくて、とても頭の切れる方だった。

福島の別荘にお招きいただいたときの、「家庭内温泉」でのびのびした夢のような時間。
早起きしてバードウォッチングに連れていっていただいたことなど、思い出す瞬間がいずれも輝いている。

そんな方とお知り合いになれて、ごいっしょに楽しい時間を過ごせたことが夢のようだ。


あまりにも突然のことで考えがまとまらないので、とりあえず、ご著書のご紹介。
ちゃんと読んでから、著者サインをいただこうと思っていた矢先のことだった。

本当に残念だ。

悲しい日は、ゆっくりお風呂につかって、眠ろう。

合掌。。。。



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超小型衛星メッカ構想

経団連が出している「会報宇宙」に、拙文を載せていただけることになった。

新しい宇宙の法律ができて、新しい宇宙開発が始まるので、特別号なのだそうだ。

その本を入手できない方もたくさんいらっしゃると思うので、ここにアップロードしておく。

超小型衛星メッカ構想


「超小型衛星」という、これまでになかった小さな衛星が、
従来とは違う「手の届く宇宙開発」を可能にしている。
すでに11基の大学衛星が軌道投入に成功した。
その原動力となっているのは、大学や高専の学生という若い力。

民間の気象会社が自前の衛星を持とうとしている。その衛星を
作っているのは、ほんの数年前まで学生だったエンジニアたちの
ベンチャー会社。学生時代に超小型衛星を作った経験を、もっと
社会のために役立てたいと考えて、ベンチャーを作った。

宇宙は「夢」ではなくて、「現実」。
そして、その現実を作っているのは、普通の若者たち。

夢をみるのでなく、現実を作る。
現実を作ることによってのみ、新しい世界は開ける。
ほしいものは、誰かがくれるのでなく、魔法のように出てくるのではない。
自分で工夫して、ほしいものを作りだし、それを分かち合う。

かつて、日本はそういう国ではなかったか。
いったい、いつから、楽をして金をもうければいいというふうになったのか。
嘘をついてもごまかしても、自分さえよければいいというふうになったのか。

自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の手で未来を創る。
宇宙に行くモノたちを作るリアルな宇宙プロジェクトは、そんな若者たちを育てている。

UNISECは、そんな若者たちを応援し、ともに学び成長するNPOである。

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私はガス室の「特殊任務」をしていた

風邪をひくときは、体が変わるとき、すなわち意識が変わるときであったりすることもある。だから、強烈なショックを受けると、熱を出したりする。

一年で一番よい季節ではないかと思うこの1週間を風邪で寝込んですごしてしまったが、遠因として考えられるのは、この本である。

この本を読むと、たぶん間違いなく、熱が出る。日ごろ、何にも動じない、感じないという鈍い精神生活をすごしていれば、そういうことはないかもしれないが、悲しい映画を見たら涙が出るという普通の生活をしている人であれば、この本を読むと、心の奥のほうで何かが動く。

アウシュヴィッツでのあまりに強烈な体験談が、「体験者の声」として、インタビュー形式で語られる。

あの地獄のような体験をくぐりぬけて、生き抜いた人たちの声は、これが初めてではない。

「夜と霧」のヴィクトール・フランクル氏をはじめとして、いろいろな方がいろいろな立場でその耐え難い痛みを何とか言葉にしている。

しかし、この本は別格である。
それは、著者であるシュロモ・ヴェネツィア氏は、「特殊任務」をしていた側の人間だからである。
ユダヤ人として捕らえられた中で、屈強な体力のありそうな男たちは、特別な任務を与えられた。


(この後は、強烈な内容をそのまま引用したりしているので、読みたい方のみ続きをどうぞ)

Continue reading "私はガス室の「特殊任務」をしていた"

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春雷

4月1日
不思議な一日だった。
エイプリルフールのいたずらかと思うくらいに、たくさん「フール」な連絡があった。

「取材の申し込み」というから、きちんと応対していたら、さにあらず、「お金を払えば取材して雑誌に出してあげる」という話。要するに、「取材の売り込み」だった。OKなら、もう明日かあさってには取材に来るという。

「お金を払わないといけないならけっこうです」といったけれど、ファックスを送りつけてきた。
そして、そのファックス。

  超小型衛生についての取材

衛星を衛生と書いているあたり、これはもうまったくお話しにならないと思い、放置。
「放置する」ことを、これまで私はなるべくしないできた。どんな方にでも、きちんとお返事をして、何かしら感謝できるところを探して、心穏やかにいられるようにと気を配ってきた。それは決して悪くないと思っている。

しかし、こちらの時間がどんどんとられる。
これからは、「放置」という選択肢も検討しよう。
どうしても必要であれば、「放置」されたほうからもう一度連絡があるだろう。
(ちなみに、ファックスの送信元から再度の連絡はなかった)

その後、有意義なミーティング。
このミーティングは、将来にけっこうなインパクトがあるかもしれない。

夜、春の嵐。
けっこうな雨。この季節の雨はまだ冷たい。
雷は、かなりの長時間なり続け、稲妻が光り続けた。

その間、私は、墨をすり、筆をとっていた。
月に一度の書道教室。
白い半紙を前にきちんとすわって字を書くひとときは、心落ち着く楽しい時間。

先生のお知り合いの方が、以前、犬の散歩で公園にいって、雷に打たれてお亡くなりになった由。
そういえば、そんなニュースを聞いたような気がする。

散歩に出かけて命を失うこともあるのだ。
人はいつどうなるのか、本当にわからない。

いつどうなっても本望といえる生き方ができているかというと、それはかなり怪しい。
まあ、しかし、そういう人はもうちょっとよい生き方ができるようになるまで様子を見ようということで、生かしておいていただけるのではないだろうかと、恐ろしく都合のよい理屈をこねてみたりする。

春雷も、一時のことで、過ぎゆくもの。
すぐに穏やかな空が戻ってくると思えるのは、幸せな証拠。

春雷や 筆を休めて 身も休み 
(自己評:休みたい気持ちが現れた、正直な句ですね。HA!HA!)


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お彼岸

Sakura

3月20日、春分の日。この日はお彼岸。

お墓参りへ行く。
午前中は雨だったが、お昼にはやみ、午後は晴れて暖かくなった。

たくさんの方がきているのに驚く。
雨があがってどっと繰り出した皆さんで、駐車場はみるみる一杯になった。

お墓のお掃除をして、花を飾る。
お線香を焚いて、おまいりする。
することが決まっているのは、ある種の安心感を与えてくれる。

これまで、親戚縁者と離れた核家族だったので知らなかった世界。
家族みんなでおまいりするのが、日本のお彼岸の過ごし方だったのか、、、などと、たいへん遅まきながら学ぶ。

この翌日、母が、学生時代の友達に会うというので、東京駅まで送っていった。八重洲中央口で待ち合わせ。父が亡くなってから、電車に乗るような外出をしなくなっていた母は、昔の友達に会った瞬間に、娘時代に若返って、満面の笑み。こんな顔を見るのは、久しぶり。

すべては絶妙のタイミングで起こる。
いいときに、いい友達が現れてくれる。
学生時代に戻って、笑い転げれば、誰だって元気になる。

それから一人で上野へ。
お天気がよいので、公園の中を歩いて帰ろうと思った次第。
しかし、なぜかふらふらと博物館へ。常設展だけなので安い。

Smile
そこで、運命の人(ではないが)に出会ってしまった。
美しい、静かな、穏やかなお顔。
ずっといっしょにいたいと思うようなお顔。
すいていたので、どなたかにご迷惑をかけることもなく、ずっと見つめていられた。
お顔しかないけれど、もとはお体もあったのだろうか。

最近、いろいろ疲れることが多いし、NOと言わなければいけないこともけっこうあるし、NOと言われることもある。
そういうとき、人並みに繊細な神経はとても疲れるのである。

そんなときに、こういうお顔に出会える私はなんと幸運なのだろう。
すーっと、痛みが消えていくような感覚の揺らぎの中にいるのは至福。

こんな微笑をたたえる人になれたらどんなに素敵だろう。
折にふれ、このお顔を思い出すことにしよう。

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