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大学祭

暑いくらいの陽気。

仕事が残っているのと、自宅パソコンがストライキをおこし、ネット接続が不調なため、大学に来て見たら、すごい人。
今日は、大学祭。
テントが立ち並び、屋台で売られているのは、焼き鳥、焼きそばなど、おなじみのもの。
こういう風景は、いつもどこでも変わらない。

航空宇宙学科の中で、衛星の運用見学を銘打った研究室は一番人気。
次から次へと見学客がくる。
熱心に説明する学生の話を熱心に聞く老若男女。
宇宙に惹かれる人たちは、年齢性別職業を問わないらしい。

何かを変えるとき、エネルギーがいる。
そのエネルギーはどこから出てくるかというと、人から出てくる。
何かを求心力として、エネルギーが渦巻く瞬間がある。
その瞬間をとらえることで、そのエネルギーを形にすることができる。

いままさに、何かが変わりつつあり、起こりつつあることを感じる。
その場にいて、何かできることがあることに感謝しよう。

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サレンダー

シタールのレッスン。

特殊能力「忘却」を身につけているためか、習ったはずのことを覚えていない。
忘れては覚え、覚えては忘れるという繰り返しが芸を磨いていくに違いないと、勝手に納得。

最近受けた呼吸法の合宿の話から、インドの話をいろいろとする。

「サレンダー」
降伏するという意味もあるけれど、要するに自分を無にするということらしい。
インドでは、よく使われる言葉なのだそうだ。
封建社会では、そう思っていると生きやすいということもあるだろう。
あるがままに受け入れる。
他人も状況も、あるがままに受け入れる。
もちろん、自分自身もあるがままに受け入れる。
我が強いと、なかなかそうできない。

からっぽになる、ゼロになる。
レイランドで大切にしたいことだけれど、仕事を抱え、締め切りに追いまくられていると、なかなかからっぽになれない。

サレンダー。
吸収力が違う。からっぽのところには、いくらでも入ることができる。
今日は、気持ちを「サレンダー」モードにしてみる。心なしか、師匠の音についていきやすい。

音は人なりという。
いらいらしていると、そういう音が出る。
レイランドで奏でられる音楽は、静かに心に染み入るような、愛に満ちたものであってほしい。

心をこめて。

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執着とコミットメント

執着とコミットメント
attachment VS commitment

どちらも、あることとの強い関係を示す言葉だが、中身は大きく違う。
執着は、「強く惹かれ、離れられない」こと。
コミットは、「大事だと思い、離れない」こと。

離れることはできるけれど、離れないでいるというのと
離れようとしても離れることができない(と思い込む)ことの違いは、行動に大きく影響する。執着していると、目が曇りやすい。恋に狂うと、こういう状態が起こりやすいが、執着の恐ろしいところは、二つある。

一つ目は、好きなものでもきらいなものでも執着できてしまうというところである。好きだから執着するというばかりでもないのだ。きらいだと思い込んだとたんに、そのきらいなものから離れられなくなる。きらいだという感情から抜け出せなくなる。いやな思いに執着しているのである。

二つ目は、執着はエネルギーを生み出すように錯覚するということ。執着していると、そこから怨念のようなエネルギーが出てくる。裏切った相手に対する復讐がその最たるもので、そのためだけにでも人は生きていけるくらいのエネルギー、まわりを巻き込むエネルギー、後世にまで伝わり続けるエネルギーを生み出すかのように、執着は働く。しかし、そのエネルギーは、何も生み出さず、他からバンパイヤのようにエネルギーを吸い取ってこなければいけない。復讐するエネルギーは、復讐される側からエネルギーを奪い取るし、いやなものをずっと我慢している人は、常にどこかからエネルギーをもらわないとその状態を保てない。

執着はさっさと手放して、次に進んだほうがいい。
そして、本当に価値あるものにコミットして、すばらしい人生を輝かせていくことにエネルギーを使ったほうが、自分もまわりもずっと幸せになるだろう。


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カンサット本脱稿

初代カンサットを作った学生たちの奮闘を描いた「上がれ、空き缶衛星」の最終ゲラのチェックを終え、出版社に送った。6月に刊行の予定。すでに、新潮社の6月刊行案内にも載っている。

初稿を書きあげてから、諸事情があって編集者が二回交代したために、二回全面的に書き直しをしたのだが、結果的に深く考えることができて、よかったと思う。

今回の仕事で恐れ入ったのは、新潮社の校閲者。本のよしあしが決まるのは、編集者の腕次第というのは知っていたが、校閲者の役割についてはたぶん理解できていなかった。プロの校閲者というのはここまですごいものなのかと、初めて知った。誤字脱字を直すというようなレベルのものでなく、全体をくまなく読み込み、整合性がとれるようにチェックしてくれる。こういうプロの手を経て、原稿は磨かれていき、お金を出して読んでいただけるものになるのだと、いまさらながらに納得する。

かつて、通訳会社で仕事をしていたとき、通訳者と「英語ができる人」の違いは、ピアニストと「ピアノが弾ける人」の違いだと説明していたけれど、物書きと「文章を書ける人」の違いも、やはりあると思う。WEBができて、誰でも何でも自由に発信できる時代だからこそ、文章でお金を頂くプロは技を磨かなければならないだろう。ともあれ、伝えたいことがあって、それをきちんとした形にして伝えることができるのは、本当にうれしい。すばらしい素材と環境に恵まれたからこそできたことで、感謝してもしきれない。

宇宙は、どこか遠くにあるのでなくて、私たちが生きている場所が宇宙の中にあるのだけれど、実感としてなかなか持ちにくい。学生たちが衛星を作ったという事実は、私たちが勝手に遠くへ追いやってしまった宇宙を、すぐそこまで引き戻してくれたように思う。でも、それは魔法のように起こったのではなくて、一人ひとりが、地道な作業を丹念に繰り返し、挫折を乗り越え、岩のようだった壁を突き崩して、やっとできたことなのだ。

次の本の計画も練っている。カンサットは、宇宙へは行かなかった衛星(つまり衛星ではなかった)だけれど、キューブサットは、実際に宇宙へ行って、今も高度820キロメートルのところを周回中。宇宙からたくさん写真を送ってきてくれている。キューブサットの開発物語を書きたい。


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ビジネスプラン

ビジネスプランを作っている。超小型衛星を使った事業計画をまとめているが、これが難しい。
宇宙の分野でビジネスプランを書くのは難しい。宇宙の商業化ということが言われて久しいが、商業化の「顧客」が「国家」であるという図式は、ほとんど変わっていない。つまり、民間企業に国からお金が流れるという「公共事業」体質が綿々と続いているのである。

宇宙と軍事は切れない関係にある。平和利用ということを声高に言ってきた日本も、テポドン一発でスパイ衛星、もとい「情報収集衛星」を作ることにしたわけだし、上から見られているということの脅威を感じない人はいないだろう。もともと、ロケットとミサイルは原理的には同じで、先っぽに衛星などを載せて上に打ち上げればロケットだし、先っぽに核弾頭を載せて、ある地点をめがけて打てばミサイルなのである。

ビジネスプランは、投資家に見せるためのものである。いくら投資をしたら、いつまでにこんなリターンがありますよということを示さなければならない。そのためには、たとえば衛星のニーズが一年にどれだけあるのかを言わなければならない。

衛星のニーズはいったいあるのか?誰がそれを買うのか?
そういうところから考えなければならないところでビジネスプランを作るのは、正直なところ苦しい。正攻法でなく、別のところでビジネスを立ち上げ、機が熟すのを待つというのもいいのかもしれない。

ともあれ、前向きに、前向きに。

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呼吸法と瞑想

ゴールデンウィーク。
例年であれば、仕事を片付け、部屋を片付けて終わることが多いのだが、今年は、「呼吸法と瞑想」の合宿に参加。
インドから先生が来日されているというし、自然に恵まれた森の中の宿での合宿だというし、何も予定はいれていなかったし、ちょっと頭を休めたかったし、渡りに船とばかりに出かけた。

東京駅のバス乗り場。出発ぎりぎりに乗ったら、同じバスで行くはずだった知人がバスに乗っていない。携帯に電話すると、「えーっ、明日からじゃないの?」と悲鳴にも似た声が。しかし、彼女がすごかったのは、その後の行動。とるものもとりあえず、新宿からのバスに飛び乗って、ゴールデンウィークの渋滞に巻き込まれて2時間半遅れで到着した私よりもずっと早く着いたのである。

呼吸法のクラスは、すばらしかったのか退屈だったのか、なんだかよくわからないうちに終わった。こういうのはきっと、じわじわと後で影響が出てくるのだろう。でも、たくさん気づきがあった。自分と向き合う時間を持つことは、日ごろはなかなか難しい。それを可能にしてくれただけでも、ありがたい場であったと思う。疑いとか、いわゆる「科学的思考」を捨てきれない自分にも、改めて気づいた。

捨てない自分もいてもいい。捨てきれない自分がいても問題ない。
昨今はやりの「バカの壁」を自分は持っているかもしれないことに気づいていればいい。

そうすれば、いつか壁はくずれて、本質的なものだけが残っていくだろう。

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