パワー
パワー。権力ともいう。
選挙で戦っている人たちは、たぶん権力をめぐって戦っているのであろう。
その地位にいることでもてる力は相当に大きくて、一度味わったらもう手放せないほどの甘い味であるらしい。
どんなところにでもパワーはついてまわる。
家庭でも、会社でも、大学でも、役所でも、国連でも。大小にかかわらず、パワーゲームはいつでもどこでも繰り広げられていて、そのパワーをめぐって狂奔する人たちが大勢いる。
だから、「私はこんなに知っている」「こんなにできる」「こんなにしてあげられる」ということを声高に言う。どちらが上位にあるのかをくっきりと決めたがる人が多い。それがはっきりしていないと、居心地が悪いらしい。
八百万の神たちに、上下関係はあるのだろうか。川の神は海の神よりも位が高いのか、低いのか。そもそも、どっちがえらいという議論をする必要があるのか。循環系の中で、それぞれの持ち場があって、それぞれが重要なのに。
ほんとうにできる人は、腰が低い。自分ができるとか知っているということをひけらかさない。それでいて、いつのまにか尊敬を勝ち得ている。これは、どこの国でも同じだ。弱い犬ほどほえるというが、それと同じなのだろうか。
パワーゲームに加わることなく、大事なことを見据えて歩いていきたい。威嚇し、ほえる代わりに、みんながなごやかになる歌でも歌って。
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