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テレビ出演が目白押し

最近、テレビ出演が目白押しである。
私が出るわけではないが、知っている人や、知っている衛星やロケットが、電波に乗って世間に露出していく。世間様の注目に値するような活動になりつつあるようで、悪くない。

●11月28日にはNHKのおはよう日本で、カムイロケットが取り上げられたそうだ。

植松さんと永田先生がいろいろ話していたと、「私的諜報機関」から連絡があった。残念ながら見逃してしまった。あとで録画を見せていただくのを楽しみにしよう。

●12月4日6時半 「夢の扉」(TBS)で、中須賀研究室とXI-Vの特集。

打上げが延びたこともあって、結果的には1年がかりの取材になった。相当な量のフィルムがたまっているはずだが、放映されるのは30分弱。どんな番組になるのか、楽しみだ。予告編では、船瀬プロマネが涙をふく場面が出ていたらしい。

●12月6日夜10時「ガイアの夜明け」には、北大のカムイロケットが登場。

「2005年 宇宙への旅~未来の100兆円市場に賭けろ~」というタイトルで、アメリカの宇宙ベンチャーを特集。そのうちのひとつ「ロケットブレーン社」に見初められたカムイロケットの開発チームも取材を受けたのだという。ロケットブレーン社との会議の様子なども放映されるようで、こちらも見逃せない。

点在している小さな活動は、いつかつながって線になり、面になっていくだろうか。大きなうねりになる日がくるだろうか。わからないけれど、臨界点がどこにあるのか見極めるのは難しい。まずは、目の前にある小さなことをひとつひとつ大事にこなしていこう。

12月10日と11日は、東海大でUNISECのワークショップ。すでに申し込みが160人を超えている。こちらも楽しみだ。

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石峯寺の夕陽

障害は、道しるべ。
何かがうまくいかないときは、別のもっといい道があるかもしれないというサイン。がまんして辛抱して生きる生き方も悪くないけれど、「代替案」を考える生き方も悪くない。どちらを選ぶかは自由。

最近、後者の生き方のほうがもしかしたら合理的かもしれないと思うことによく出会う。最初に自分のちっぽけな頭で考えたことというのは、それだけのことでしかない。状況が思わしくなかったら、そこでじっとがまんしてもいいが、別のことを考えてもいい。そうしたら、状況が悪かったことにむしろ感謝するようになることもある。

週末に神戸で法事。その帰り、叔母が紅葉がきれいだからと、有馬温泉に車を走らせてくれた。ところがひどい渋滞。駐車場はもちろんいっぱいだし、何よりも前に進まない。

あきらめて帰ることにしたところ、叔母が、以前の勤め先の近くに見事な紅葉があることを思い出し、そちらへ行くことになった。

石峯寺(しゃくぶじ)という古いお寺。

見事な紅葉なのに、人はほとんどいない。ひなびた古いお寺。

少しくすんだ赤い三重塔。けものみちのようなところを歩いていくと、池がある。紅葉が水面にうつって、美しい。

「夜はこわいでしょうね」
「昼間だって、一人だとこわそう」
という会話が出てしまうほどにひっそりとしたたたずまい。

wikipedia に書いてある「歴史」をひもといてみる。

651年- 孝徳天皇が勅願所として建立し、法道を開山とし、延命地蔵尊を本尊とした
747年 - 行基が薬師堂を建立
823年 - 嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立
1974年 - 「石峯寺及びその周辺」として十輪院、竹林寺とともに文化環境保存区域に指定
1997年 - 「新・こうべ花の名所50選」の1つに選定される

現存する三重塔も薬師堂も、室町時代のものと書いてある。とすると、500年前の建築物なのだろうか。

あのとき、あのまま有馬温泉の駐車場に並び、人だかりのなかで紅葉をみるという選択肢もあった。それなりに楽しかったかもしれないが、石峯寺に行くことはなかっただろう。そして、ここにこんなお寺があることをもしかしたら一生知ることはなかったかもしれない。知っていても、バスに30分ゆられて来る気になったかどうかは不明。

「有馬温泉が混んでてよかった」などという言葉が出てくる。
「紅葉を見る」という初期の目的を十二分に達した上に、珍しいところに連れてきていただいて、大満足。

人生は、重荷を背負って坂道を歩くようなものだというたとえがある。思い通りにいかないのが人生だとも言われる。本当にそうなのだろうか。喜びに満ちて、楽しくてワクワクすることが次々と起こるようなものにはならないのだろうか。

呼吸法の先生の言葉。
「まず、幸せになりなさい。それから、ほしいものを手にいれなさい」

人は、何かが足りなかったりよくなかったりするから、幸せになれないと考えやすい。しかし、その何かを手にいれたからといって、幸せになれるわけではない。

うまくいかないことがあればあるほど、いいことが待っている。
いいことがあればあるほど、もっといいことがある。

そんなふうに思って生きるほうがきっと楽しい。

古いお寺で夕陽をみながら、そんなことを考えた。論理的に正しかろうと間違っていようと、どっちでもいい。論理の正しさは、前提が狂えば意味がなくなってしまうのだから。

うまくまわっていく世界の一部になりたい。そして、たくさんの人と心からの喜びを分かちあえたら、と思う。


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はやぶさくんの冒険

はやぶさくんはすごい。
太陽より遠いところにある小惑星に行って、がんばっているのだからすごい。そこがどれくらい遠いかというと、交信するのに16分(ご指摘いただいたので、訂正。片道の時間)もかかるそうだ。といってもぴんとはこないのだが、電話して答えが返ってくるのに30分以上かかるという感じだろうか。

今日未明、サンプルリターンミッションが、その遠いところで行われた。8時40分の段階で、的川先生のVサインが出たそうだ。本当にサンプルを持って、地球に戻ってきたら、どんなに嬉しいだろう。大歓迎会をしなければなるまい。

松浦晋也さんのブログがまたすごい。たぶんどこよりも早く、正確に、読者が知りたいことを伝えてくれる。彼の視点は、ときに製作者側になり、ときに読者側になるように見えて、一貫してプロのコミュニケーターの足場を崩すことはない。

世の中にはすごい人たちがいる。そういう人たちが、そのすごさを100パーセント発揮できるような場があるといい。宇宙研には「24時間戦う天才」たちがいて、彼らが文字通り、24時間奮闘している。

宇宙研もやりにくくなったと嘆く声を耳にすることもあって、少し心配だけれど、はやぶさくんの冒険が契機になって、もっと宇宙研らしいことが自由にできていくようになるといい。

がんばれ!はやぶさくん。

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アメ横のタラコ

アメ横をブラブラとあるいていたら、タラコが8腹くらいで500円。通常、2腹で398円くらいで喜んで買っているのだから、これは破格の安さ。「冷凍したら3ヶ月は持つよ」との言葉に、ホイホイと購入。中国ショップで黒酢に紹興酒も買い込んだ。

それから、新幹線のディスカウントチケットを買ってから、指定席予約のため、上野駅へ。今週末は法事で神戸に行くことになっている。JR上野駅は、かつての物悲しいような面影はまったくない明るくて近代的なショッピングセンター。ハードロックカフェまであるのだから驚きだ。無事に予約も終了し、あとは帰るだけ。

帰り際に、ふと見ると、すてきなカバンが目に入った。ビジネスにも一泊くらいの旅行にも使えそう。購入することにして、お会計。店員の若い女性が私の食材が入ったビニール袋をみて聞く。

「お買い物ですか?」
「はい、ちょっとアメ横で」
「アメ横って安いんですか?行った事ないんです」

上野に勤めていて、アメ横に行ったことがない人もいるらしい。

「安いですよ、タラコなんて、500円だったんですよ」
「えっ、タラコですか?私、好きなんです」

そして私が取り出したタラコがたっぷりはいったパックを見て、仰天。
「えーーっ!これが500円なんですか?」
「そうですよ」
「行きたいです。でも休憩時間、短いから・・・」

その店への行き方などを説明しているうちに、ふと思いついて言ってみた。
「よかったら、これ、お譲りしましょうか?」
帰り道にまた買えばいい。この方は、9時までお仕事なのだそうだから、アメ横の店は閉まってしまうだろう。

彼女はとても嬉しそうな顔をして、
「えっ、でも、いいんですか」といいながら、お財布をいそいそと取りにいき、その場で「商談(?)」成立。

私はカバンをカードで払い、彼女は500円玉を私にくれた。
店員さんは、カバンも売れ、大好きなタラコも安く手に入り、満面の笑みで手をふって送り出してくれた。

こんなおしゃれなお店で、カバンを買い、タラコを店員に売ったお客は、たぶんこれまでに一人もいなかっただろうし、これからもきっといないだろう。いいことだったのか悪いことだったのかわからないけれど、彼女も私もその数分間、とても楽しかった。

帰り道に、またアメ横で、明太子と筋子を購入。それぞれ500円。タラコは彼女に譲ったのだから、別のものがいい。

タラコが作ってくれた小さな縁。一瞬で消えるかもしれないけれど、温かな縁であることは違いない。私も知り合いに話して楽しいし、きっと彼女も知り合いに話しているだろう。

「お客さんがタラコを売ってくれた」と。
きっと「信じられなーい!」という笑いが起こっているだろう。
もしかしたら、彼女やご家族のお弁当にちょこんと入っているかもしれない。

小さな温かな縁が世界中で絶え間なく生まれていれば、点滅するネオンサインのように、全体として明かりが消えることはない。善意をふみにじるように見えることがどれほどあろうとも、それを上回る善意を生み出していけばいい。

善意の泉は、60億人の人たちの心のひとつひとつにある、と思う。とすれば、なんと豊富な資源を私たちは持っていることだろう。泉の水はただ湧き出るだけで、尽きることはない。自分の行動の底にあるものが善意の泉からきているかどうかを見分けるのは、実はとても簡単なことなのかもしれない。


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プーシキン美術館

奈良で美しいものに触れたせいか、もっと美しいものに出会いたくなり、上野へ。北斎展を見ようと思っていたが、40分待ちと書いてあり、あっさりあきらめて、東京都美術館へ。

あきらめて、というのはたぶん違っている。
「やっぱり、マティスの金魚を見よう」
さっと心の中で切り替わったのである。一瞬のこと。

東京都美術館で「プーシキン美術館展」をやっている。大好きなマティスの「金魚」に会いたかった。本当にほしいものにめぐりあわせてくれるために、障害というのはあるのだろうかと思えてくるから不思議。こちらも15分待ちとのことだったが、まずはチケット売り場へ。ちょうど日展をやっていて、かなりの混雑。

見知らぬ女性が近寄ってきた。
「すみません、プーシキン美術館展をごらんになるんですか?」
うなずくと、
「連れが来られなくなってしまったので、この券、よかったらさしあげます」
まあ、なんというラッキーなこと。

「たまにはいいことがあると思ってくださいな」

そんな優しい言葉とともに、私の手にチケットを握らせてくださった。こういうことがあると、やはり私はこちらに来ることになっていたのだと妙な確信が出てくるのがまた不思議。「科学的」でない思考回路を持っていることは楽しい。

しかしこちらもかなりの混雑。こういうとき、背が高い人は得だ。しかし、この思考は人生をつまらなくする。「せっかく背が低いのだから」、「前のほうに行かなければ決して見えないのだから」、ちょっと待って絵に接近してゆっくりと鑑賞。最近のイヤホンは、音楽つきで音質もよく、説明もわかりやすくて心地よい。

プーシキン美術館は、モロゾフとシチューキンという二人の実業家が集めたコレクションをもとにして作られたそうだ。モスクワ革命の前だから、リッチな人はとめどなくリッチになれた時代。

シチューキンの自宅には、マティスの部屋とピカソの部屋があったそうだ。ため息が出そうな贅沢な空間だったに違いない。マティスの部屋は、ばら色の天井の豪華絢爛なつくりだったのに比べ、ピカソの部屋は白が基調の簡素なものだった。それぞれの絵画がいちばんひきたつしつらえ。部屋のモノクロ写真が残っている。

展覧会は3階に分かれて展示。象徴主義から印象派、ナビ派とアンティミスト、マティスとフォービズム、そして最後にピカソとキュビズムという構成。いっぱしの美術愛好家を気取れるくらいにわかりやすく並べてある。

お目当ての「金魚」は、真ん中の階にあった。思っていたよりずっと大きな絵だった。なんと明るい色彩だろう。ピンクの色合いがなんともいえず素敵。金魚に表情があるのもいい。こんな絵が自宅にあったらどんなだろう。この世界が美しいことを思い出させてくれる。生きていることがとても幸せに思える。

帰り際に、MAYAMAXXさんの本を買う。絵がふるえるほど好きになる というタイトル。表紙がマティスの「金魚」。画家の彼女の目で見る作品。話し言葉で語りかける説明文はなかなか。「すみません、セザンヌはよくわからない・・・」というような正直なコメントがいい。

いいものを見ると、それからしばらくその幸せ感が続く。しばらくの間、「マティスの金魚」が視界にいる生活を楽しもう。


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2010年の奈良

2010年の奈良。奈良にとっては、平城京ができて1300年という節目の年。
その年に、奈良で宇宙関係の国際会議を予定していて、その予備調査のため、奈良へ。

国際会議といっても、制御関連学会なので、200名程度のこじんまりとした集まりになりそう。その学会の重鎮の先生たちから「制御とは」のお話を賜る。重鎮のお二人は、制御の研究では正反対の立場をとっておられるが、日本での会議を成功させようという想いはひとつ。奈良コンベンションビューローの方が会議場の候補をいくつか案内してくださった。

平城宮は710年から784年までの奈良時代の都だった。奈良市内のそこかしこに古墳やら遺跡やらがある。ふとふりむくと、ずっと昔の人が微笑んでいてもおかしくないような空間。そして、お寺の数々。そこにいるだけで癒されるようなほんわかとした雰囲気がある。

街の時間もゆっくりと流れていて、京都とは一味も二味も違っている。奈良ならではというこの持ち味をなくさないでほしいと思うのは身勝手だろうか。

ニクの縁が発覚。
コンベンションビューローのKさんの弟さんは、N先生と高校の同級生だったらしい。それくらいの偶然はよくあること。しかし、驚愕の事実があった。

「ホームページに、先生はお肉がお好きだと書いてありましたね」
「先生はニクの日生まれなので、ニクがお好きなんですよ」
「えっ?2月9日ですか?」
信じられない顔をして、Kさんはおっしゃった。
「うちの弟もですよ」

3クラスしかなかったという高校で、同じ誕生日の人がいる確率はあまり高くないだろう。でも、それをずっと長い間知らずにいて、突然知ったというのも不思議。

「弟さん、ニク、お好きですか?」
「はい、すき焼きとか大好きで」
「これは、誕生日のせいですね。きっと」

2月9日生まれの人は、みなニクが好きなのだろうか。菜食主義者にはならないのだろうか。

「肉即是食う、食う即是肉」という文言は般若心経にはなかったと思うが、不思議なご縁があるところには、何か大きな変化の機会があるように思う。いや、これはもしかしたら逆で、大きな変化が起きるとき、隠れていたご縁が浮かび上がってきて、変化を起こす力となるのかもしれない。

1300年の歴史と宇宙の先端技術。コントラストのようでいて、実は根っこは同じものかもしれない。連綿と続いてきた歴史の先っぽに、今、私たちはいる。たくさんの人たちの積み重ねの上に、宇宙先端技術もある。

けれど、積み重ねてきた技術のすべてを、今持っているわけではない。クレーン車のない時代に五重塔を作り上げた技術を、今、私たちが再現できるのかどうかわからない。ほんの半年で作り上げたという説明を聞きながら、いわゆる現代技術なしで、これを半年で作れといわれたら作れるのだろうかと首をかしげてしまった。

2010年。そのころ、どんなふうになっているだろうか。素敵な未来が広がっていて、世界中に笑顔が満ちていることを祈ろう。


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サイさんちの五郎ちゃん

XI-V打ち上げ応援キャンペーン」というのを、中須賀研究室では企画して、応援メッセージを募集。70件近くの応募をいただいた。ほのぼのメッセージや、思い入れのあるメッセージ、激励調など、さまざまなメッセージ。思わずくすっと笑ってしまうもの、じーんとするもの、うなずいてしまうもの。読んでいて実に楽しい。一部、公開されている。

「XI-IVが送ってくる写真に元気づけられている」、というメッセージを読んで、運用メンバーは元気づけられる。この正の循環がいい。

抽選で3名様にTシャツプレゼント。XI-IVが撮影した地球画像をアレンジしたTシャツで、UNISECプレミアムTシャツと銘打っている。実際に原価も安くはない。学生さんたちは、律儀にメンバーで募金して、Tシャツ代を払ってくれた。「これはちゃんと僕らが払わないと」と言って。この潔癖さがいい。

XI-Vの打上げが成功したので、宇宙開発委員会でお話をする機会をいただいた。通常5分程度らしいのだが、20分も時間をいただいたそうで、船瀬プロマネがプレゼンテーション。スーツにネクタイを締めて、宇宙開発委員の皆様やプレスの方々の前で堂々と話す。質問がたくさん出たそうだ。内容はそのうち公開されるだろうから、楽しみに待つことにしよう。

XIはすっかり擬人化されていて、サイさんちの四郎ちゃんと五郎ちゃん兄弟が宇宙に行ったようにも見える。いまのところ、六郎ちゃんが生まれる予定はないらしいが、予定外に生まれることもあるかもしれない。

サイさんちの三郎ちゃん(エンジニアリングモデル)は、宇宙へ行くことはないけれど、そのかわりに多くの人たちに、サイ家の秘密を公開している。写真撮影の経験もたぶん一番多い。今日は読売新聞の取材があって、やはり写真撮影に駆り出された。太陽電池パネルがないので、中身の基板がむき出しだが、それなりに決まっている。

サイ家の兄弟が開いてくれた世界には、何か光るものが見える。もっとできるかも、と思わせてくれる何かがあるのは、すばらしいことだ。そして、これはサイ家だけに起こっていることではないというところがまたすごい。キュート家も、シーズ家も、目が離せない。まだ正式に名乗りをあげていないが着々と開発が進んでいるところも多い。

こうした動きが、よき未来につながっていくといい。

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宇宙に行く人たち

最近、宇宙に行く人たちの話をよく聞く。

Dice-Kさんは22億円払っていくそうだけれど、もう少しお手軽なサブオービタルの宇宙旅行に行くことになっている方は、世界ですでに200人に達しているという。IT関係の会社にお勤めの木達一仁さんもその一人。会社がバックアップしてのこと。

「地球の歩き方」ならぬ「宇宙の歩き方」という本まで出版される時代になった。そのうち、「火星の歩き方」とか「木星の歩き方」という本が出るようになるのだろうか。

先日も、弾道飛行の宇宙旅行に申し込んだという方がお見えになった。IAC福岡で、UNISECブースに立ち寄ってくださったのだそうだ。九州在住のごく普通の若い方。

この旅行に申し込む決心をするには、二つのハードルがある。お金のことと、安全のこと。

安いといっても、1000万円を越す買い物だ。ほんの十分かそこら無重力体験をして、地球を少し高いところから眺めるためだけに庶民が払おうと思う額だろうか。思わず聞いてしまった。

「よく、1100万円もありましたね」
「あと2年あるので、足りない分はこれからためるんです」

なるほど。目的があれば、それくらいはためられるだろう。

安全のほうは、そういうわけにはいかない。弾道飛行といっても、飛行機ほどの信頼性が確保されているわけではない。

「ご家族は賛成しておられるんですか?」
独身の彼には、養うべき家族はいないけれど、親兄弟はいるだろう。
「まあ、うすうす知っているみたいです」

野口宇宙飛行士のフライトで船長をされていた女性宇宙飛行士の方の言葉を思い出す。二人のお子さんがいらっしゃる。コロンビア号の事故の後のフライトで、こわくなかったかという質問に対しての答え。力をこめて話された。

「私も家族も100%安全だとわかっていますから」

実際にスペースシャトルで事故があったのに、100%安全だと言い切れるのはなぜだろう。宇宙飛行を宣伝すべき宇宙飛行士がネガティブなせりふを口にするわけはないし、彼女はもともと軍のパイロット。当初から死ぬ覚悟はあるだろうし、あるいは、できると信じ込む技を会得しておられるのかもしれない。

松浦晋也さんの「スペースシャトルの落日」を読んで、背筋が少し寒くなったのは、私だけではなかろう。

そうはいっても、何が自分にとって大切なのかは、人によって違う。「宇宙に行く人たち」にとっては、宇宙に行くというそのことが何よりも大切なのかもしれない。

いっしょに話を聞いていた女子学生にどう思うか、あとで聞いてみた。今回のブース展示を切り盛りしてくれたしっかり者の彼女は、即座に答えた。

「私は行きません」
そして、
「そのお金は地球上で使います」とにっこり。

「宇宙に行くという衝動に突き動かされている人」にとって、この答えはきっと理解できないだろう。これがたとえば夫婦だったら、どうなるだろう。1100万円という庶民にとっての大金を、「家を買う頭金」にするか「宇宙旅行」に使うか。

この問いに対する答えが、一国の宇宙政策の根幹にあるような気がしてならない。日本はどちらだろう。日本国民はどちらを選ぶだろう。

願わくば、宇宙に行く人たちと行かない人たちが、平和に共存できますように。

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きゅうりのかつらむき

きゅうりのかつらむきに挑戦。

「根津くらぶ」のお料理教室で先生がやってみせてくださったとき、きゅうりはスイスイと紙のように薄く切れ目なくむけていった。それを千切りにして水に放すと、針よりも細い緑色の線がきれいに広がった。美しい。

挑戦。自分でやってみると、1センチくらいでボツボツと切れる。しかも、厚さは一定せず。しかし、このきゅうりはどうしても針よりも細い緑の線にしなければならない。

「包丁はたてに動かして」
全身硬直状態のまま、包丁を握り締める私に先生の声。力まかせに横方向にぐいぐいとむくのでなく、上下に動かすことで、自然にむけていくらしい。

「だってプロですから」とおっしゃりながらも、「練習すれば誰でもできますよ」とにっこりされる先生。二つ三つ山を越えたはるか遠いところの山頂からエールをくださる。エールが届く範囲内にいるというだけで満足。

難しいことに挑戦することの効用は、いろいろある。自分の潜在能力を引き出すきっかけとなりうるということ。新しい気づきがありうるということ。一度難しいことを切り抜けると、通常レベルの困難はそれほど気にならなくなること。

難しいこと=危険なことというわけではないのが嬉しい。命を懸けずとも、全身硬直する体験はできるのである。
きゅうりのかつらむきができるようになったとき、通常の千切り、みじん切りなど、まったく苦にならずにできるだろう。

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