ランカウイのゴミ問題
1月16日は国境を越えてタイのバタン島へ。船で1時間半ほど。熟睡しているうちに到着。
この日はダイビングの予定。久々のダイビングでなのでちょっと緊張。来る前にプールでリフレッシュ講習なるものを受けてきたけれど、海は勝手が違う。
大潮の時期で、プランクトンが多いせいか透明度はいまひとつだったけれど、珊瑚もお魚もきれいだった。南の海の魚はどうしてこんなにも色鮮やかで美しいのだろう。この浮遊感も本当に久方ぶり。すっかり忘れていた感覚が少しずつよみがえる。
午前中に一本潜り、ビーチでランチを頂いた後、午後にまた潜る。陸にあがると、ケーキとフレッシュジュースが待っていた。ケーキは焼きたてなのか、ほんわかとあったかい。至れり尽くせりの心のこもったサービス。ありがたくおいしく頂く。
ランカウイに戻ってから、夕食。今日はタイ料理をセットしてくださっている。Barn Thaiという名前の素敵なレストラン。マングローブの森のずっと奥まで遊歩道が作られていて、450メートルほど歩くと、そのレストランが姿を現す。
その橋の途中でなにやら異臭。近くにゴミ処理場ができて、そこの匂いだという。ゴミの量はどんどん増えているという。元凶はホテルらしい。ランカウイの美しい自然に魅せられて訪れる観光客が増えれば増えるほど、ゴミの量も増える。二酸化炭素を大量に撒き散らす飛行機に乗ってやってきて、美しい島のゴミを増やし、生態系を壊しているのは誰かといえば、お気楽な観光客であって、それはほかでもないこの自分である。
南の島は豊かで、やしの実は落ちてくるし、果物は勝手になるし、海では魚や貝がいくらでも取れる。十分に幸せに暮らせるのではないかと思ったりもするけれど、そこの住民の立場になれば、そういうわけにもいかない。文明の利器はやはりほしいし、「もっと豊かな暮らし」を求めれば、代償を払う必要がある。環境問題は、その代償が、ある地域に限定されえず、全地球に及んでしまうところが脅威であり、希望でもある。
環境問題は、常に矛盾をはらむ。批判の矛先は自分にも向いてくるからだ。解はいったいどこにあるのか。このツアーに参加している方々は、いつもそのことを考えておられる。利益を追求する企業の一員として、そのことを考え提言する立場に身をおくのは、なかなか大変なことに違いない。
その広いレストランには川に面したベランダがあって、そこから川に降りていくこともできる。好奇心の強いメンバーの一人が降りていったが、足をすべらせて泥にはまった。底なし沼のようにひきこまれる感じがしたという。環境問題も底なし沼なのだろうか。
まったく申し分なくおいしい料理を頂きながら、環境問題の底なし沼に落ち込まぬよう、この星の未来に想いを馳せた。ずっと先の未来には、消えてしまう運命の地球。宇宙的な時間から考えれば、人生はほんの一瞬。百年生きたところで、短いことに変わりない。
今、何をすればよいだろう。何を言えばよいだろう。何を考えればよいだろう。
美しい景色と楽しいアクティビティとおいしい料理と愉快な会話に囲まれて、自分の中で少しずつ膨らんでいく想いがあることに気づく。
多くの人たちの真剣な努力が、いつか美しい花を咲かせますように。
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