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かな習字

かな習字を習い始めた。
お料理を習っている根津くらぶの先生が、書道も教えておられるというので、体験入学をさせていただいた。

「根津くらぶの秘密」は、こういうところにもあったらしい。秘密のベールは少しずつはがれていく。

パソコンのせいもあって、すっかり縦書きとはごぶさたで、あまり美しい字も書けず、恥ずかしい思いをすることがよくあった。しかしながら、気になるところがある、というのは実はとても幸せなことだ。何をすればいいかを教えてくれるのだから。

新しいことをするには勇気がいる。
特に、苦手だと思っていることをするには、とても勇気がいる。
けれど、こんなふうに、すっと新しいことに入っていけるときもあるらしい。幸運とご縁に感謝。

ちょっと緊張して行ったのだけれど、書いているうちに、とても楽しくなった。
墨を静かにするのもいいし、一人半紙に向かうのもいい。

墨の香りの中、いつもと違う時間が流れているのを感じながら、筆を握る。

子供のころの書道教室で習った、いわゆる「明朝体」の書き癖がついているらしく、なかなか、かな習字にならない。これはちょっとショックだった。私の書道は、中学校くらいで終わっているようで、それ以降の成長はなかったと見える。

その「呪縛」から、ゆっくりと放たれていく快感。字を書くということは、もっと自由なものだったのだ。

お手本は、やわらかい線、細い線、濃い線が微妙なバランスをとって、一枚の紙の中で、これしかないだろうという位置を占めている。

 「鐘一つ売れぬ日はなし 江戸の春」

これだけの一文が、半紙の中で芸術になる不思議。

4月に入って、たくさんの方が新しい環境で新しいことに挑戦している。そういうときは、ストレスも多いけれど、学びも多い。これまでの環境にいて、新しい人を迎える側は、それほどストレスもないかわりに、たぶんそれほど学びもない。

そして、おおいに学んでいるフレッシュな新人に対して、いろいろと難癖をつけるようになる。自分がそのとき、どんなだったかというのは、忘れてしまうものだ。誰もが子供だったことがあるはずだが、子供の気持ちが本当にわかる大人は、たぶんほとんどいない。「わからない」というところからはじめないと、よけい混乱する。

子供の気持ち、新人の気持ちを理解しようとするのもいいけれど、自分が何か新しいことに挑戦すれば、きっと「共感」できる。

共感できれば、そこから新たな地平がみえはじめる。
すべて、いまここから始めるしかないのだ。戻ることはできない。それは、悲しいことなのではなくて、むしろ大いなる喜びである。

いつ、なんどきでも、「いま」、「ここから」、始められる世界に、私たちは生きている。


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