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SEEDS、打ち上げか?

日大のキューブサット、SEEDSが、もしかしたら来月にも打ちあがるかもしれない。ただいま、カルポリにて充電が終わって、P-PODに無事に収まったところとの日大ブログ情報

P-PODは、3つのキューブサットがたて方向につながって入る分離機構。ブログに写真が出ているが、3つのキューブサットは、文字通り一蓮托生なわけである。仲良く宇宙に飛び出せるように祈ろう。

このブログは、読んでいてとても楽しい。何気ない研究室の日常や、皆さんの素顔が見える。写真も満載で、自分がそこにいるような気になるから不思議。筆者の顔が見えないところが、この方のこの方たるゆえん。写真も、ご本人が写っているものはいっさいアップされていない。でも、読む人が読めば、誰が書いているかはすぐにわかる。

SEEDSは、同時に打ち上げ予定のキューブサットたちと同様に、ずいぶんと待たされ、何度もスタンバイをしてはダメになるというのを繰り返してきた。今度は上がるだろうという見込みであるが、こう何度も期待を裏切られると、本当に打ちあがるまでは信じられないという気持ちにもなるだろう。

でも、いつかは上がる。そのいつかが、来月であってくれたらどんなにいいだろう。
ちょうど、地上局ネットワークの国際化を始めたところなので、もしかしたら世界中の大学と連携して受信ができるかもしれない。

無事に打ちあがって、たくさんのお祝いメールが飛び交うといい。

夢は見ておくものだ。いつかかなうから。


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BEAR

UNISECのAnnual Report が完成。
今年はちょっと遅くなってしまったけれど、なんとかできあがった。

作業は正真正銘の「家内制手工業」。
編集済みのCDを一枚ずつ焼いて、シールをはって、CDケースにカバーをいれていく。そのカバーは、イラストレーターでデザインしてもらったものをプリントアウトしてカッターで切ったもの。CDケースの裏面に入れる作業は、ちょっと面倒。でもこうすると、背表紙もちゃんとあって、なかなか見栄えがよくなる。一年間の学生さんたちの努力を入れるのだから、見栄えもいいほうがいい。

とはいうものの、さすがに200枚も作るのは大変だ。今年は薄型ケースにして手ぬきをしようかと、実はちらりと思ったのである。でも、新スタッフのM原さんが、「やっぱりちゃんと作りましょう」と言ってくださったので、そうすることにした。

2001年、UNISAT時代に初めての報告書を作って以来、ずっとこのやり方で作っている。そのときは、誰もデザインしてくれる人がいなかったので、私が適当に写真をはりつけて作った。コピーは「重力が何だ!」だった。宇宙はもともと、地球の常識である重力に逆らうところから始まるもの。「重力があるからできない」というところで納得していては、何もできない。

毎年、いろいろな方がデザインを担当してくださって、個性がにじみ出る。できあがりはいつも楽しみ。

今年は、CDカバーとシールのデザインを千蔵真也さん、中身の構成とデザインを鈴木由宇(よしたか)さんに担当していただいた。頼んだときは四年生だったが、できあがったときは大学院生になっていた。

カバーは手書き風。今まで、こういうのはなかったので新鮮。かわいい絵が描いてある。手作り宇宙開発に似つかわしい(?)かわいらしさ。

蓋をあけると、CDの円盤に「手作り宇宙開発に必要なものたち」が書いてある。手作り感があふれたいい味を出している。ノズル、フェアリング、アンテナ、抵抗、太陽電池セル、チップ、半田ごてなどの中に、なぜか、熊がいる。ぬいぐるみのクマちゃんのようにかわいい顔。

デザイン担当の千蔵さんに、聞いてみた。
「なぜ、熊がここに・・・?」
「さあ。なんとなくです」

ためしに熊を指で隠してみると、なんだかつまらないものになって、かわいらしさが半減。彼の感性はたぶん正しくて、熊はそこにいるべきなのだろう。

しかし、UNISECはたいそうマジメな団体であって、質実剛健を旨としている。かわいらしいクマちゃんがいてはねえ。。。

というわけで、私が考え出した屁理屈。我ながら納得してしまったのが不思議。

Bearを辞書でひくと、たくさん意味がある。
その中に、「耐える、我慢する、辛抱する」というのと「生む」「(努力を)実らせる」というのがある。

手作り宇宙開発は、部品だけではできない。重要なのは、じっと耐えてがんばって、努力を実らせて、モノを生み出すスピリットを持った人たち。つまり、BEARのスピリットは、確かに手作り宇宙開発に必要なもの。

今日も今日とて、日本のあちこちで、衛星になるべきモノやロケットになるはずのモノたちと向き合って夜を明かす学生さんたちがいるに違いない。部品調達に奔走し、不具合に頭をひねり、失敗を繰り返す。そんな中で育まれるものが確かにある。そして、それは決してお金では買えない何か、だと思う。


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保全と和全

日本橋の三井記念美術館
高級感をかもし出す新しいビルの7階。元は三井文庫といっていたのを、移転して美術館にしたらしい。その存在も知らなかったが、偶然通りかかったので、入ってみた。

エレベーターに行くまでの通路からして優雅。ワクワクしながら、美しいエレベーターに乗る。受付にはにこやかな女性がすわっている。800円也のチケットを購入。

展示されているものは焼きものらしいが、どこのどなたのどのような作品なのかはまったく知らなかった。しかし、大切に作られて、大事に使われたのがにじみ出て、なんとも美しい。

見ているうちに、ほんの少しだけ理解。
これは、千家の茶道具を製作していた永楽家の焼き物。三井家が援助をしていた関係もあって、多数の焼き物が三井家に残っていた。すばらしい芸術が生まれるには理解あるスポンサーの存在が大きい。

永楽家10代が了全。その養子になったのが保全。その息子が和全。三代の当主は、同じような焼き物を作りながら、少しずつ違っている。芸術品はすべて人工物。人が作ったものである。だから、その人となりが出るのかもしれない。

解説によると、保全は若いときから研究熱心で野心的だった。和全は、もっと鷹揚だったが、動乱の時代(江戸から明治にかけて生きている)に生き、経済的にも困窮して苦労しているせいか、茶人の評価では、和全の作品のほうが「わび」の味が出ているそうだ。

お持ち帰りをしたかった作品は、和全作の小皿。かわいらしい野の花が伸びやかに描かれた小さなお皿がたくさん並んでいるさまは、ため息が出るほどの美しさ。もちろん、赤絵のものやら、もっと重厚なもの、凝ったものなどすばらしい作品はたくさんあるのだが、この小皿は、すっと心に入ってきて、出ていかない何かを持っている。

なかなか素敵だったので、帰宅してから、ネットで永楽和全のことを調べていると、おもしろい記事。アサザ基金はなかなかの組織だと思っていたけれど、代表の方も深いお考えをお持ちのようだ。一部引用させていただく。

里山の「保全」や「管理」についての議論が盛んである。しかし、以前から私は「保全」や「管理」という言葉にある違和感を持っている。これらの言葉には、動きが無く里山と人々や社会との一体感が感じられない。 <中略> 「保」には「たもつ」「世話をする」「やとわれ人」などの意味が記されている。「和」には、「おだやかなこと」「仲良くすること」「うまくまざること」などと記されている。わたしは里山に合うのは、「保」より「和」つまり「和全」ではないかと思う。

「自然保護」とか「環境保全」という言葉がよく使われるけれど、そういう言い方をするとき、自然や環境と人間の間には壁がある感じがする。「環境和全」という言葉がもしあったら、人間は環境の一部としておだやかに存在するようになるのだろうか。

まったりとした「和」の中で、静々と進んでいこう。
方向さえ正しければ、どんなに歩みが遅いように見えたとしても、いつか目的地には着くのだから。

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