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二千歳の先生

米原万里さんが亡くなった。
ロシア語の同時通訳者から、作家に転じ、すばらしい作品をたくさん残して、逝ってしまわれた。

一度お目にかかったことがある。アタマの回転の速さといい、歯に衣を着せない物言いといい、なんとカッコイイ女性だろうと思っていた。そして、キツイ言葉の下から、なんとも暖かくてやさしいものがあふれ出てくるのも素敵だった。もうお会いすることは叶わないけれど、作品をとおして、その心に触れることができる。きびきびとしたリズム感のある文章がとても魅力的。

残念だ。命は限りあるものなのだから、しかたのないことだけれど・・・

生きているものは、すべて死ぬ。
善く生きること、善く死ぬことは大事。でもどうやって?何をどうすればいい?

学校では、たくさん知識を学んできたけれど、「善く生きること」など学ばなかったし、ましてや「善く死ぬこと」など、想像もできない。

このところ、「生きる」事に関して、御歳二千歳の先生から、多くを学んでいる。
その先生の名前はセネカ。ローマ時代の皇帝ネロの教育担当だった方。最期はネロに死ぬように命令されるのだが、職を辞してから数年間の間に、多くの優れた作品を残している。

生きること、善く生きること、善く死ぬこと。

そのことに対してのヒントや洞察にあふれたセネカ先生の思惟を、二千年のときを経て、日本語で読めるのは、なんと幸せなことだろう。しかも、もっと幸せなことに、中野孝次先生が、実にわかりやすく解説をしてくださるのである。中野先生は、セネカの本を二冊、世に出してから、セネカの「善く死ぬ」ことを実践された。二冊目の本のあとがきに、淡々とご自分の病気のことが書かれている。それを読むと、人は出会うべきときに、出会うべき人に出会うのだろうかと思わずにいられない。

毎日、今日が最期の日だと思って、今に集中して生きる。
人生は使い方を知れば、長い。

口で言うのはたやすい。実践するのはたやすくはないけれど、それでも、そういう心がけが大切なのだと気づくだけで、生き方がほんの少し違ってくるかもしれない。

善く生きよう。せっかく生まれてきたのだから。


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