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ポトフの夜

レイランドにお客様。

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ポトフを用意。こんなにおいしくて、失敗の少ない料理はないと思う。
必要なのは、材料と、皮をむいたり切ったりすることと、あとは時間だけ。
今回は、豚肩ロースの塊を買ってきて、ごろごろと切っていれた。それに、ジャガイモ、にんじん、大根、そしてキャベツにたまねぎ。ウインナーソーセージも。

前夜に、ゆっくりとコトコトと煮て、新聞紙とバスタオルでくるんで一晩おいておいたら、肉はトロトロになり、野菜はまったりとやわらかくなった。キャベツの甘みが出て、スープはまろやか。好みでマスタードか胡椒をかけていただく。

これからの世界を背負ってたつであろう若い方々とのおしゃべりは楽しい。最近の若い方は、物知りで、かつ勉強熱心で恐れ入る。宇宙の世界も変わっていくかもしれない。ちなみに今日は、法律関係の方々がいらしてくださった。

「ポトフって何語?」
「さあ、ロシア語?」
という会話があると、さっそく携帯を取り出して調べる。

なんとポトフはフランス語だそうな。。。

大学時代に法学部なのに三国志を勉強したという方が、おもしろいことをおっしゃっておられた。

天才といわれる人たちは、家柄がよくお金持ちだったのだそうだ。財力を持ち、情報をたくさん手にした人が賢明な判断ができた、というのが彼の解釈。

なるほど、情報があふれているといわれる現在でも、本当に必要な情報を持っている人がどれくらいいるかは疑問。いまは、どの情報を信じていいかというところから考えないといけない。

情報を解釈する力、複数の情報を統合する能力が問われる。
表面的なところだけをなぞっていては、決してわからないことがある。

検索エンジンを使えば、なにごともすぐにわかるようになりつつある今、肝心の自分で解釈する力、統合する力を育む機会が減っているように思うけれど、気のせいだろうか。

自分の頭で考えよう。
大切なのは、思考するプロセス。なんども同じことを繰り返して考える中で、知らないうちに身についてくるものがある。それが、本当の力。人に頼らず、自分で考える。自分なりに考える。間違いに気づいたら、認めて直す。

そういうことができる人たちがまわりに増えてきたのを見るのは、本当にうれしく、心強い。

少しずつ、水が一滴ずつたまるように、よいものがたまってきたように思う。
いつかそれがあふれて、流れ出し、世界中のよいものと出会う日がくるといい。


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ケニアからの便り

ケニアの友人からメールが届いた。
昨年の1月にケニア旅行に行った際に、10年ぶりくらいで会った友人だ。

ナイロビ郊外に住んでいるので、心配していたが、彼も家族も無事だった。

選挙に不正があったことから、安定しているといわれていたケニアの情勢が突然不穏になり、暴動が起こり、あわやルワンダの二の舞かという状況になっていた。 

タイミングというのは、本当に重要らしい。
昨年の1月には、ケニア旅行に何の不安もなく行けたのだが、今年なら行けなかった。

あのとき、スラム街の見学に行って、胸を衝かれるような感じを受けたけれど、それでもそこで人々は笑って暮らしていた。世界にそこだけしかないのなら、きっと、そこに住む人たちは幸せに暮らせたのだろう。

けれど、実際には、同じ市内に豪華な屋敷が立ち並ぶ。貧富の差、などという言葉で表せるようなものではない。国連の職員の方にうかがった裏話から察するところ、スラムにはいろいろな利権もからんでいるらしい。

変化は小さなところから始まって、あっというまに大きくなる。
ほころびやきっかけは、どんなことでもいいのだ。状況が変化を求めているから、「それ」がきっかけになる。

第一次大戦の勃発の例をひくまでもなく、そういうことはたくさんある。

急激な変化は、犠牲も大きい。
大手術をすると、回復に時間がかかる。
漢方治療のように、ゆっくりと、気がつかないうちに、全体としていつのまにかよくなっていた、というのがいい。

そんな変化が起こるには、何が必要だろう。
ホリスティックなものの見方、システムとして全体をとらえる見方、そして、違いの本質を知ること。

それだけではたぶん足りない。
ジグソーパズルのピースが一つ一つはまっていったとき、足りないものがわかるのかもしれないけれど、それではたぶん間に合わない。

足りないものは何だろう。
心当たりはあるのだけれど、確信はない。

試行錯誤で試していくうちに、確信が出てくるのかもしれない。
まずは、自分でやってみよう。


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新年初出勤

本日、初仕事。(これを書いているのは土曜日なので、昨日が初仕事だった)
今日は誰もいないので、落ち着いていろいろ片付けようと思っていたら、ある報告書の締め切りが今月18日というメールがきていて、やや動揺。書かないといけないとは知っていたのだが、今月18日というとあと2週間。この土日は報告書を書こう。

報告書の嵐シーズンはもう少し先だと思っていたが、すでに前哨戦が始まっている模様。

学生さんには、「早めに」「締め切りを守って」「ごまかさないで正直に書く」などとえらそうなことを言っている手前、やはりきちんと書かねばなるまい。

それはそれとして、うれしいお便りをいただいた。

UNISEC出身の卒業生からだ。メールでなくて手書きのお手紙なのがなんともいい感じ。かわいらしい便箋に丁寧に綴っていただいた。彼女は、就職活動の際には、求人も出ていないのに、自分で目をつけた宇宙関連の会社に電話をして、自ら仕事を勝ち取った猛者である。卒業後、UNISECの正会員になり、ワークショップや卒業生イベントでも活躍しておられる。本人は、「まだまだ正会員としてお役に立てるほど、ものがわかっていないので、せめて少しですが寄付させてください」といたって謙虚。

UNISECの活動で学んだことは

「自分の頭で考え抜くこと」
「未来を他人の手に委ねないこと」
「あきらめないこと」

なのだそうだ。

「未来を他人の手に委ねず、」「自分の頭で」「あきらめずに」考えることは、ふつうの生活の中ではなかなか難しいことだ。

「誰かが言ったから」というだけのことで、どれほど多くの「判断のチャンス」を失っていることだろう。私たちは、「自動反応」する機械になりがちだ。そのほうが楽だし、まわりもそれを期待している。違うことをいうと、「空気を読まない」などといって、蔑まれる。

適応力があるのはよいが、適応しすぎると、滅びるのが自然界の掟、と何かで読んだことがある。

空気を読んで、まわりが喜ぶようなことばかりしていると、自分は本当はどう感じているのか、わからなくなってしまうことも多い。いやなのにいやだと言えず、がまんしているうちに、「そんなにいやじゃないかもしれない」から「これいいのだ」と思い込んでしまう。そうして、今度は、「これいい、正しい」とまわりに喧伝するようになる。そして、「これは正しい」ことを証明してくれる言説を探すようになる。

表面的な感情はだませても、心の奥はだませない。そのうちに、からだのほうが悲鳴をあげるようになる。精神がまいってしまうこともある。でも、原因はなかなか探り出せない。

この恐ろしいサイクルから脱するには、どうすればよいのだろうか。
私が試みているのは、意識して、遠くから自分を見るようにすること。自分のまわりにゆとりをおくこと。リラックスする時間を作ること。お掃除すること。不要なものを処分すること。そして、気づきを与えてくれる本を読むこと。

ちょっといい本を読んだ。よき人間関係(特にパートナー)を創りたい方には特にお勧めだ。
タイトルは「私をコントロールしないで!ーあなたを支配するパートナーとの縁の切り方」(Stop controlling me!)と、ややショッキングなものであるが、内容はいたってまじめでまとも。アマゾンの読者書評が秀逸。71人中66人が「参考になった」のボタンを押したのがよくわかる。

2008年は、よき人間関係を築いていきたい。
そのためには、気づき、認めることがまずは必要と教えてくれる本に出合えたことに感謝。

必要なものは、いつもそこにある、と思えることにも感謝。いま、ここにいられてよかった。

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2008年は「生」!

新年あけましておめでとうございます。

昨年の初めに選んだ漢字は「動」だった。
公私にわたって、あちこちに動いたような気もする。

「衣食住本音旅」の私にとって、旅は大切。
仕事でもプライベートでも、旅は大好き。

1月にケニアへ
4月にベルリンへ
6月に盛岡へ
8月に北海道(大樹町)へ
9月にインドへ
11月初めに北海道(札幌と赤平)へ
11月中旬、マレーシアへ
11月末に北九州へ
12月に銀座へ(近くても旅だった)

2008年の字として、頭に浮かんでいる字は「生」。

生きる
生まれる
生(なま)

人生は、変化し続けるもの。
人は、毎日生まれ変わる。
何かに触れるたびに、新しい自分が生まれる。
生のチーズは毎日味が変わっていく。

2008年は、生き生きと生きて、新しいものを生み出そう。


 新しい年が、実り多いよき年になりますように。
 

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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