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e-tax

確定申告時期。
会社勤めのころは、何も心配しなくても会社ですべてをやってくれていた。だから、どれほど保険料や税金を払っているのか、あまり気にしていなかった。今は、骨身にしみてよくわかる。ああ。。。

電子納税なるものに挑戦。
5000円、税金をまけてくれるというので、やってみた。
これから忙しくなりそうだったので、早めに準備を始めていたので、それほど大変ではない・・・はずだった。

ICカードリーダーなるものも購入。
ちょうど、ヨドバシカメラさんから、「3月までに何か買わなければ、ポイントは消滅します」という親切なおはがきをいただいたところだったので、ポイントを使用。
「シャープ」の製品をすすめられるままに購入。(一番安いのだそうだ)

そして、書類を整えて、入力をすませて、いざ、電子送信。
メール添付で送るのと違って、なにやらややこしい。住基カードを区役所で作成して電子証明書を作ってもらわないといけないとかで、合計1000円かかる。うーん、すでに現金にして3980円を使ってしまっている。5000円返してもらっても、この手間を考えると割にあわないかもと思いつつ、この機会にJAVAも無料ダウンロード。(これが入っていないと、動かないらしい)

しかし、ICカードリーダーがうまく動かない。エラーメッセージが出る。
緑色のLEDが、カードをいれると橙色になると書いてある。赤色になるのは異常、と説明書にある。何度入れても赤色にしかならない。

たぶん、朝から晩まで、同じような問い合わせでうんざりしておられるに違いないと思いながら、サポートセンターに電話する。

「あのー、すみません、カードをいれても橙色にならないんですけどー」

「書いてあるだろー、読めよー!」と叫びたくなるであろうところを、先方はプロなので、丁寧に応対してくださる。

「カードをひっくりかえしていれてみてください」

「はい、いれました。赤いランプがついてます」

「もう一度、カードをいれてください」

「はい、いれました。やっぱり赤いんですけど」

「よく見てください。さっきの色と同じでしょうか?」

もう一度やってみる。うん?そういわれてみれば違うような気もする。

「えっ、これ、橙色なんですか?」

それから、電話での指示に従って、いろいろ調べたところ、異常なく、使えているらしい。JAVAのインストールをやり直したらちゃんと動いた。

私は、申し訳ないことをしたなあと反省したのだが、この話をしたエンジニアさんの視点はさすがに厳しい。

「それは、色の選び方が悪いですよ。設計が悪い。まあ、赤や橙色のLEDは安いからなあ」

LEDは小さくて、緑色との対比だと、橙色と赤色の区別はつきにくい。
あとでよく読むと、「点灯と点滅」でも区別していて、工夫のあとは見られるのだが、素人をなめちゃいけない。説明書なんぞ、読んでもらえるなんて思っちゃいけない。そんなものを読まなくても迷わず使える製品を、メーカーには求めたい。

。。。と書きつつ、あまりわかりやすいとはいえない「報告書作成要領」を学生さんに押し付けているかもしれないことに気がつき、ちょっと反省。しかし、エンジニアになる皆さんは、きっと、素人にもわかりやすいモノを作ってくれるようになるに違いない。

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甘えの構造とUNISEC

「甘えの構造」と「続・甘えの構造」を読んだ。
前者が書かれてから30年後に書かれたのが後者。

1950年代にアメリカへ行ってカルチャーショックを受けた精神科医、土居健郎氏が、「甘え」という日本語に特有の言葉に注目して、自身の研究と広くて深い読書と思索と思惟を経て書いたもの。

「甘え」とか「甘える」という言葉は、英語の語彙にはない。
ちょうど、プライバシーとかアイデンティティという言葉が日本語の語彙にないのと同じ。

国境はないとはいっても、住んでいるところによって、ものの考え方は大きく違う。
こんなに感性や考え方が違う人たちがいっしょに仕事をしたり、友達になったり、結婚したりしている現実に改めて驚く。

著者は、「甘え」は悪くはなく、信頼関係を作り、精神的に発達するために必要だという。しかしながら、大人になって、「甘えている」という自覚がないままにそうしているのは問題、とも言っている。

「健康な甘え」が否定されていったために、「病的な甘え」がはびこるようになったと著者は指摘する。
「病的な甘え」が「健康な甘え」を駆逐したのかもしれないのだが、そのあたりの因果関係は不明。

この本を読んだのは、別の必要性があってのことなのだが、UNISECの存在意義を最近考えていたところだった私に、大きなヒントになることがあった。

70年の安保闘争や当時の若者の体制への反抗について、筆者は以下のように洞察する。(『「甘え」の構造』229ページ)

大体青年が自らの力を過信するに至れば、彼らが攻撃している勢力者たちともはや区別がつかなくなるではないか。彼らが真に必要とするものは、それによって自らの限界を知ることができる力試しである。しかし、今日の社会で誰がその機会を青年に与えられるのであろうか。誰が彼らにとって父親となり、権威と秩序の意味を新たに説くことができるのであろうか。見渡したところ、大学教授にも、政治家にも、思想家にも、宗教家にもいない。この点で現代はまさに絶望的である。事実は一にぎりの青年たちだけがアナキーなのではなく、時代全体の精神がアナキーなのである。であるとすると現代の青年はいつ果てるともわからぬ力試しに、まだ当分は明け暮れせねばならぬのではなかろうか。

筆者は、桃太郎の寓話を例にとりながら、論を展開していくのであるが、安保闘争のころからすでに40年近くがたっており、現在の日本の状況は、「戦う相手、乗り越えるべき存在」に関する議論さえなくなった世界になったといえるかもしれない。

成長のためには、力試しの場、限界を知る場が必要。
UNISECや学生の宇宙プロジェクトが提供しうるのは、まさしく、そういう場ではないだろうか。

相手が必要なスポーツやゲームとは違い、自分たちがどれだけがんばったかによって、衛星もロケットも成否が決まる。相手を倒さなくとも、自分が勝つことはできる。全員が「勝つ=成功する」ことだって可能だ。その一方で、自分の努力とは無関係のところで、失敗も起こり、すべてが無に帰することもある。

それでいて、妙な平等主義とも違うのは、低きにあわせる必要はなく、できるところは、突出してすばらしい衛星やロケットを作ってもいいのだ。画期的なアイディアを出し、実現すれば、賞賛される。経験の少ないところは、自分たちなりのことをして、成果を出せば、それも賞賛される。

みんなで仲良くゴールインというのは、すべての人に欲求不満を起こさせるのではないかと、個人的に思っている。

UNISECの標準は、常に最高地点。「標準」は「平均」とは違う。
トップランナーがより早く走ることで、後続のランナーも早く走れるようになるのだ。そういう意味では、トップランナーの責任は重い。でも、トップランナーは、そんなことは気にせず、自分たちの信じることを、何のてらいもなく、どんどん実現していけばいい。

皆の手本になるような団体があちこちに林立している、という状態が理想的。
どんぐりの背比べでなく、多様な植物が育っている、という状況が続いていけば、熱帯雨林のような「やせた土地なのに信じられないほどの豊かな恵み」が自然循環していく。

そんなことを意識して活動していたわけではないのだが、超特急で成長していく学生さんたちの姿を見るにつけ、この場は、もしかするとそういう場として機能していたのではないか、と思ったりする。

名著というものは、分野を超えて、ヒントをくれるものらしい。
「甘えの構造」「続・甘えの構造」を読んで、いろいろなことを考えた。まだ整理がついていないけれど、確かに何かの手がかりを得たように思う。

ご一読をお勧めしたい。

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プルコギの夜

レイランドにインターナショナルなお客様。
"A little late New Year's Party for International Members of N-Lab"
ということで、N研究室に海外からいらしているメンバーをご招待。

食材の買出しに行って、お酒類は、カクヤスで注文。
カクヤスは、こんなに簡単に配達してもらえていいのかしらと思うくらいに簡単。こういうサービスが出てきたら、店に買いに来なさいという商売では成り立たなくなるだろう。時代はどんどん変わっている。

ベジタリアンもいらっしゃるので、メニューをいろいろ考える。

メインを普通の日本の鍋料理にしようと思っていたが、直前に「韓国料理を作ろう」と思いたち、インターネットで検索。プルコギの作り方を見つけ、食材もあることを確認して、それから、牛肉をタレに漬け込んだ。
(韓国の方々に聞くと、ナシをいれたほうがよくて、一晩くらいはつけこんでおいたほうがよいそうだ。次回はそうしよう)

カナダ、イギリスから1名ずつ、韓国から3名。
韓国からいらしている方々は、日本語も英語もペラペラ。
優秀な方々が世の中には多い。

一番若いKim君は、日本のアニメとテレビで日本語を覚えたそうで、会話にはまったく不自由しないのだが、読み書きにかなり不自由しているそうで、新時代の国際人はこういうふうに育つのかと思った次第。

プロジェクトの話から、身の上話から、文化の話から、話はあちこちに自在に飛ぶ。
私は料理を作りながら、片付けながら、ときどきお話に参加させてもらう。

彼らにとって、ここは外国。どんなふうにこの国を見ておられるのだろうか。
日本を離れるときに、「この国、けっこう好きだな」と思っていただけると嬉しいのだが。。。

皆さんの手相を拝見した。本当に、人によってさまざま。
3年前に見せてもらった方の手相を再び見る。かなり変化している。
「奨学金に受かった前後で、この線が・・・」とか、「ああ、もうこの結婚線のチャンスはいってしまった」という非科学的な会話を、科学を学ぶ方々とするのは、本当に楽しい。しかし、潜在意識が手相に影響するか何かの関係があって、まだ科学で解明できていないだけではないかと私は勝手に思っているのであるが。。

ものごとは、解釈によってどうにでもなる。見方によってどうにでも変わる。
大事なのは、「今、こうだ」から、じゃあどうするか、ということをしっかり考えることだ。
結婚線がないとか、ありすぎるとかいうことが問題なのではなくて、自分はどんな人生を送りたいと思っているのか、自覚することだ。

幸せの形は人によってさまざま。
「生かされている」と思える人は幸せだろうし、「自分の力で生きている」と思っている人も幸せだろう。
感謝して暮らしている人は幸せだろうし、感謝されて暮らしている人も幸せだろう。

不幸だと思うときがあったとしても、それは一時のこと。
夜明け前が一番暗いというのは、何度も経験する人生のレッスン。

プルコギのタレには、梨をすりおろしていれるし、キムチには、牡蠣をそのままいれるのだそうだ。
隠し味があるから、おいしいものができる。

いろいろなことがあるのは、人生をもっとおいしくするためのもの。
そう思っていれば、きっと人生はとてもおいしいものになるに違いない。

隠し味のない初心者のプルコギもそれなりにおいしかったが、次回のプルコギはもっとおいしくできると思う。それは、今回プルコギを作ったから言えること。何もしなければ、何も起こらない。

たくさん挑戦して、たくさんつまずいて、たくさん失敗して、たくさん泣いて、たくさん考えて、たくさん笑って、たくさん「ヤッター」と思って、そうして、おいしい人生を創っていけるといい。

本日のメニュー

ゆで卵のファルシー
ポテトサラダ
バンバンジー

さつまいものレモン煮
鶏ひき肉の揚げ包みと大根のおでん風

プルコギ
白いご飯
キムチ

日本茶

おみやげの高級巨大イチゴ

ワイン(おいしいフランスのワインを二本いただいて、そのあとは3リットル入りの箱入りワインで心ゆくまで)
チーズとクラッカー
ポップコーン(カナダのお客様にご教授いただいて、フライパンで作りました)
豆(マレーシアで買った、名前のわからない豆が二種類)

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ニクの日

2月9日はニクの日。
やはりこの日はニクを食べよう。
というわけで、ビーフシチューを作った。

C型肝炎を患っている父の見舞いを兼ねて、実家へ。
10年くらい前に、彼の肝臓はガンになって、手術をした。
切り取ったガンをそのときに見せてもらった。ガンは、意外に白くてきれいだった。

それから、インターフェロンとか塞栓法とか再手術とか、ありとあらゆる治療法を試みてきた。
そして、どうやら、「もう治療法は・・・」といわれているらしい。

ニクは、肝臓に負担を与えるらしい(不確かですが)ので、あまりたくさん食べてもいけないのかもしれないけれど、彼はこういうものが大好き。あったかいシチュー系のものが昔から好きだった。
煮込みがやや足りなかったけれど、それなりのものが完成。
喜んで食べてくれた。

ガンは「善意の細胞」なのだと聞いたことがある。(医学的知識ゼロですが)
そのあたりの調子が悪いから、別のものががんばって出てくるのだとか。

ときどき、UNISECの活動をしていて、もしかして、これってガンみたいなものなのかなと自戒することがある。
宇宙業界の調子が今ひとつだから、別のものががんばって出てきているのかもしれない。

組織は本当はないほうがいい。
昨日書いたことと矛盾するようだけれど、組織は本当はなくていい。
組織を守るために、どれほど多くの無駄なことが行われているか、私たちの多くが知っている。

UNISECは、活動の主体は各団体においているので、本部が肥大化することはないけれど、それでも会員数が増えていくにつれて、「管理」しなければならないことが多くなっていく。

UNISECがガンみたいなものなのか、あるいは、もっとよいものなのか、いつかわかるときがくるだろう。 
ことが始まるのは必然性があってのことだが、終わるのもまた必然性がある。

もしも100年も続くようなことがあるとすれば、それはたぶん、個人のエゴを超えた何かがあるということだろう。
その片鱗が、ときどき見えるような気がすることがあるのだけれど、錯覚かもしれないし、幻想かもしれない。

今問われれば、続けていく価値はあると思っている。
そして、UNISECの活動は、世界に広がる価値のあるものだと思っている。

ニクの日は、UNISECを立ち上げた中心人物の一人、東大の中須賀先生の誕生日でもある。
相変わらずお忙しそうだけれど、からだに気をつけて、ニクをしっかり食べて、元気にがんばっていただきたいものだ。

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UNISEC5周年記念事業

今度のバレンタインデー(2月14日)に、UNISECがNPOになってちょうど5周年を迎える。

5周年記念事業として、板チョコを会員の方々にお贈りした。バレンタインデーにちょっとだけひっかけてのこと。
購入先の小さなコンビニエンスストアで、板チョコを大量購入したので、やや目を丸くされた。この板チョコは「手作りチョコ」の原料として人気があるとのことで、バレンタイン割引が適用になっていた。

90年も続いている歴史ある板チョコは、派手さはないけれど、飽きないおいしさを持っている。続くものは、たぶんこういうものだろう。

UNISECは、活動としては地味で、華々しいことはやってこなかった。
けれど、5年たって、あちこちで成果があがっているのが見える。大学で宇宙開発をするなんてありえないと言われた時代があったというのが嘘のようだ。

何よりうれしいのは、卒業生が、今度は学生を支援しようと考えて行動にうつしていることだ。
UNISASという卒業生のグループができて、社会人として忙しい毎日の中で時間を作って、活動を続けておられる。

支援は、目に見えるものだけでない。UNISECで、目に見える支援はむしろあまり多くない。

「大学生の教育」は、宇宙開発予算をまわしにくいところらしい。「小中高」と「大学院」は、宇宙教育の対象になっているが、大学はすっぽりとぬけおちている。「文言にない」中で予算を回していただけているのはたいへんありがたいけれど、この予算で、450人の学生の宇宙開発プロジェクトの財政的支援をするのは、あまり現実的ではない。

しかし、すべてをあるがままに受け止めると、そこから未来が見えてくる。
「こうであるべき」と「現実はこうだ」ということのギャップが大きいとき、前者を捨てるとストレスが激減する。

現実からしか、未来は開けていかない。
「夢」という言葉の持つ、甘美な曖昧さに耽溺してはいけない。

UNISECに入れば支援を受けられるのだと自動反応的に考える方々は、最初は落胆するらしいけれど、だんだんにわかってくる。

本当に必要なのは、「真剣に立ち向かえる場」なのだということを。

そして、真剣に立ち向かっているとき、涙が出るほどうれしいものは、たとえば、一通のメールだったり、先輩に何気なくかけてもらった一言だったり、ほかの大学の先生にもらうアドバイスだったり、他大学の学生からもらう情報だったり、あるいはエネルギーのようなものだったり、オトナの方が「いいよ、やってやるよ」といってくださる具体的な手助けだったりする。

現実を見て、それを認めて、その中に価値を見て、そこから進もうとするとき、壁だと思っていたことが壁でなくなることがある。思い込んでいたことが、そうではないかもしれないことに気づくことがある。

ささやかな5周年記念事業は無事に終了。

華美でなく奇をてらわず、「実現する」ことを大切にして、息長く活動を続ける。
UNISECが、100年近く愛されている板チョコのような組織に育っていくといいと思う。
今、20歳の学生会員が115歳まで生きてくれたら、UNISEC100周年のときにどうなっているか、見てくれるだろう。

そのために、今、何をすべきか。
100年後の未来のために、今、何をなすべきか。
現実をしっかりと見極めたい。そのためには、きちんと人の話を聞こう。表面的な言葉でなく、その裏にある情報が感じ取れるように、しっかりと聞こう。

この5年間(UNISEC前身のUNISATから数えると7年)にお世話になった方、力になってくださった方は数知れず、お礼も言いそびれていることもあるかもしれない。この場を借りて、感謝の意を伝えたい。

多謝!

<お知らせ>
2月28日、29日にNICT鹿島宇宙通信センターで開催される
宇宙・航行エレクトロニクス研究会(SANE)・衛星通信研究会(SAT)共催のワークショップ
「UNISECミニワークショップ」をしていただけることになりました。

こんな企画をしていただけること自体、最初から関わっている人間には、信じられないことですが、現実をそのままありがたく受けとめさせていただきます。


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