Across the Universe
春分の日
昼の長さと夜の長さが同じになる。
そして、これから昼の長さがどんどん長くなっていく。
柔らかな日差しは、あっというまに強烈な夏の照りつけになり、そして、またそのうちに、穏やかな秋の日差しになって、また冬がやってくる。
そんな繰り返しの中で、人は出会ったり別れたり、新しい命が生まれたり、消えていったりする。
最近、近いところで、新しい命が誕生した。(詳細はこちら)
まだ写真でしか見たことがないけれど、かわいらしくて、見ているだけでこちらがうれしくなるのが不思議。おなかにいるときから知っている赤ちゃんの誕生は、とても他人事とは思えない。
その一方で、消えていく命もある。
突然の訃報を聞くと、ご本人の無念さとそのまわりの方々のご心痛はもとより、その後にまわりの方々にふりかかってくる膨大な事後処理を思うと、とても他人事とは思えない。
「あなたのお葬式のときに、どんな人だったと言われたいですか?」という質問は、今の生き方を自問するにはとてもわかりやすいので、悪くない質問である。
けれど、それは「人から見た自分」であって、「本当の自分」であるとは限らない。
本当の自分がどんな人間であるのかは、ほんの少しの「心の違和感」に意識をきちんと向けるようにすると、少しずつわかってくる。
最近、ネガティブなこと、自分の本心と違うことを言うと、心がきしむのを感じる。
事実をそのまま口に出すと、ネガティブに聞こえるようなことが多い中で、自分の心のきしみとどう向き合えばよいのか、思案中である。
いま、ここ、に生きていれば、そのような「きしみ」はなくなるのかもしれないのだが、凡俗ゆえ、なかなかそれが難しい。
不思議なことが世の中にはある。
NASAは、設立50周年を記念して、北極星(North Star)に向けて、ビートルズ(The Beatles)の「Across the Universe」を発信した。GMT5日午前0時(日本時間5日午前9時)、北極星に向けて光速(秒速約31万km)で発信したそうだ。地球から431光年の距離にある北極星に楽曲が到達するのは、431年後になるとのこと。
不思議なのは、その日、そのメッセージが、遠い宇宙に向かって発信されたその日、その歌詞の中にあるサンスクリット語の言葉 'Jai Guru Deva, Om...' をビートルズに教えたといわれるMaharishi Mahesh Yogiが、瞑想しながら静かにその肉体を永遠に離れたということ。
ただの偶然といえば偶然かもしれないけれど、何かを感じるのは私だけだろうか。
ほんの少しだけ、意識を少しだけ、高いところに持っていって、ものごとを見つめなおしたい。
アーサー・C・クラーク
アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)氏がなくなられた。
「2001年宇宙の旅」シリーズをはじめとして、多くの傑作を書いた方だ。
映画になった「2001年宇宙の旅」を初めて見たときは、子供だったので、たぶんよくわからなかったのだろうし、少し恐ろしかったような記憶がある。あの独特の雰囲気と音楽。大人になって再度見たときには、相当に衝撃を受け、かつ感動した。
氏は、想像力豊かなSF作家であるというだけでなく、静止衛星を使った衛星通信システムの考案者でもあった。
90歳ということなので、大往生されたといってもよいのだろうけれど、残念だ。
一度でもお会いできたら、どんなによかっただろうと思う方の一人だ。
同時代に生きていられたのに、直接お目にかかることはできなかった。
彼の想像力が描き出した世界に、私たちはまだ到達していない。
2001年はもう過ぎ去った過去になってしまったけれど、木星はおろか、かつては行けていた月にさえも行くのがおぼつかない。
お金がかかりすぎるとか、目に見えるリターンがないとか、いろいろなことが言われる。しかし、本当の理由は、そういうところにあるのではないような気がする。
「宇宙時代」というけれど、実は「地球にいたい」と思う人が大半なのではないだろうか。
以前、国際宇宙大学のサマーセッションで学生にアンケートをとったことがある。
そのとき、「火星ミッションに選ばれたら、行きますか」という質問をしたら、半分くらいしかYESをいわなかった。
宇宙に夢中のはずの人たちの中で、こういう結果が出たことに、私は驚きを感じたのだが、一般の人たちと違って、「火星ミッション」の何たるかがわかっているからこそ、そういう結果になったとも言える。一度行けば、何年も帰ってこられないとわかっていれば、恋人の顔がちらついたりもするだろう。
けれど、この結果は、現実をうつしているのではないだろうか。
宇宙旅行を夢見る人たちは、たぶん、地球に帰ってこられる旅行を考えておられるだろう。
たとえば、一生、地球に帰ってこられないような仕事があったら、志願する人は果たしているだろうか。
家族や友人と別れてもそれをやりたいという人は、いったいどれくらいいるだろうか。
それが少数なのであればあるほど、共感する人は少ない。
そういうプロジェクトは、たぶん長続きしない。
けれど、その一方で、共感されることばかり、一般受けすることばかりを追い求めていくのも、いかがなものかと思う。収束していくその先にあるものはいったい何なのか。
クラーク氏の名作「幼年期の終わり」のラストシーンのような地球になってしまっては、ちょっと悲しい。
彼が遺してくれた多くの刺激的なアイディアを、本を通して受け取ることのできる幸せに感謝したい。
ご冥福をお祈りします。
光の旋律

ニューヨークから一時帰国している友人に会った。
彼女は、もともとスピリチュアルな方で、とても美しい人なのだが、今回お会いしたら、ますます「透き通るような人」になっていて、驚いた。ちょっとしゃれた喫茶店でおいしいお茶とケーキを頂く。
そのスピリチュアルな方が連れていってくださった「コンサート」がまた驚きだった。
奈良裕之さん。

「地球交響曲第6番」で、釧路の平原で弓のような楽器を鳴らしていた方である。
まさかその方のコンサートに来られるとは思いもしなかったのだが、そう思い込んでいたのが不思議なくらい、素敵な体験をさせていただいた。
場所は、三鷹にある沙羅舎B1F 「舞遊空間」というところ。
なかなかおしゃれなたたずまい。
入ると、カレーのよいにおい。コンサート終了後に奈良さんお手製のカレーによる懇親会があるとのことで、奈良さんは、長い髪を後ろでくくって、シェフ業に勤しんでおられた。
そこで少しおしゃべりをしてから、地下の会場へ。
このコンサートは、「寝て聞いても」「踊っても」よいそうで、好きなようにしていてよいのだそうだ。
というわけで、私も途中から仰向けに寝て楽しむ。パーカッションが中心なので、からだ全体でその振動を楽しむことができるらしい。
しかしながら、正直にいうと、何がどうなったのかよくわからないのであるが、気がつくと私は、首に両手をあててもみほぐしていた。首がこっていたらしい。そして、腰も痛くなってきたので、ブリッジをしてみたり、足をあげてみたり。。。。
どう考えても、「音楽鑑賞」をしているようではないのだが、踊っている人がいたり、泣いている人がいたりして、それがなぜかちっとも不自然ではなく、もちろん、不愉快でもない。
不思議な世界。
あとで奈良さんにお話をうかがったら、これまた不思議なことをおっしゃる。
即興での演奏は、自分がやっているという感じはなくて、他人事のように感じます。だから、何をどうやってやるのか考えていないし、覚えてもいません。何か流れがくるから、自分の体を差し出して、使ってもらっている、という感じでしょうか。

この方のパートナーがまた素敵な方。
似ているからパートナーになるのか、パートナーになったから似たのかわからないけれど、お二人はとても自然で、ふんわりとあったかい。
α波が出っ放しではないかと思うようなお二人といると、それだけで心の中がほんわかとあったかくなる。
不思議な感じ。

そして、夢のように過ぎた2時間あまりの後、カレーディナーへ。
玄米菜食なのだけれど、これがまた、信じられないくらいにおいしい。
カレーには、大きくコロコロにカットしてある野菜やチーズや厚揚げがはいっている。リンゴにバナナも。。。。
サラダもパスタも素敵な味で、レシピがほしい。

今日から玄米菜食になってもいいと思うくらいのおいしさに、からだの中から癒される体験をしたのであった。
コンサートでは外から癒され、お食事で中から癒される。
このヒーリングパワーはいったいどうしたことだろう。
必要なものは、いつも最適なタイミングでやってくる。
今、私に必要だったのは、これだったのかと一人で納得。
いつか、こんなふうに人を癒してあげられるようになるといい。
(シタールの練習ももっとがんばろうと、何十回目かの決心をするのであった。。。「流れ」がきても、楽器を自在に操れなければ音が出ない。。。。)
機会があったら、(というか、こういうのはご縁があると引き寄せられるそうなので、ご縁があったら)、ぜひ、コンサートにいらしてください。人によってさまざまな体験ができるようです。あちこちで企画されています。
call me
本日は、いろいろと大変な一日で、やっといま一息ついて、頭を休めている。
いろいろなことがあるなあと思いつつ、ひとつひとつ最適の解を探す。
どこをどうやってたどったのか忘れてしまったけれど、「桜の花」のココログデザインが同じだった方のブログで紹介されていた曲がとても気にいったので、紹介したい。
「Call me」というのがタイトル。
「Just when I needed you most」という曲のほうが有名だけれど、こちらは、「恋人に去られてしまった」話なので、疲れたときに聞くのは「Call me」のほうがいい。
この歌手の方(Randy Vanwarmerさん)は、もうお亡くなりになっているみたいで、残念。
でも、会ってみたかったと思う方が多いのは、幸せなことと考え直す。
今、この世で同じ星の上で、偶然出会えている人たちを大切に、本当に大切にしなければと思う。
皆さん、そこにいてくださって、どうもありがとう。
星つむぎの歌(宇宙連詩から)
宇宙連詩のシンポジウム。
お台場の科学未来館にて開催。
日曜の午後。さわやかな晴天。
司会はNHKの桜井洋子アナウンサー。
谷川俊太郎氏に大岡信氏、さらに「千と千尋の神隠し」の主題歌の作詞家である覚和歌子氏までいらしている。
この豪華メンバーを集められるのは、さすがである。
まずは、二期目だという宇宙連詩の発表会。24の詩が選ばれ、作者自らが読み上げる。作者が来られない詩は、桜井アナウンサーが読み上げる。
その間、メガスターによる星空の投影。といってもプラネタリウムではないので、500万個の星を体感するのは難しいけれど、星が飛んでいる雰囲気は十分。
星と言葉が空間を飛んでいる中にいるのは不思議な感じ。悪くない。
そのあと、作者の方々がステージに並ばれて、桜井アナウンサーがインタビューなどしてから、シンポジウムに入る。
桜井アナウンサーが大岡信氏にまずはインタビュー。
桜井氏:(マイクをぐっと近づけて)「講評をお願いします」
大岡氏:(後ろにしりぞいて)「や、やめて。。。」
桜井氏:(さすがプロなので、うろたえない)「やめて?その心は?」
大岡氏:「読んだんですけど、ぜんぜん頭に入ってこなくて、、、。長すぎるんです。皆さん、言いたいことがたくさんあるんでしょうけど、自分には物足りないというくらい短くするほうがいいんです」
大岡氏によると、連詩のコツは、①短くすること、②元の詩を裏切ること、なのだそうだ。
「連詩は、単独の仕事でなく複数の人の仕事」で、「前の詩を裏切らないと、続けられない」。裏切ることによって、自分のものが生きてくるのだそうだ。素直に続けるだけでは続かないというところ、なかなか人生にも通じるところがあって、深い。
海外の方からの投稿も多かったようだが、それはすべて日本語になっている。「裁き手」と呼ばれる選者が多少の補正修正を加えているらしく、あまり違和感はない。
山梨の小学生たちや慶應義塾女子高校の取り組みも紹介された。素敵な先生たちがいらっしゃるものだと思いながら、ここまで仕上げるには相当なご苦労があっただろうとも思う。
この「宇宙連詩」から歌までできているのだそうだ。
しかも、平原綾香さんが歌い、財津和夫さんが作曲だという。
「山梨県が誇る詩人」といって、覚和歌子氏を「裁き手」にお願いした山梨県のご担当者の読みは、その読みを超えて、たぶんJAXA殿の思惑を超えて、どんどん進んでいっているらしい。
平原綾香さんのビデオメッセージもあり、歌も聞かせていただいた。
「一人では生きていけない」「愛さずにはいられない」というのがサビの部分なのだそうだ。
ヒットするかどうかはよくわからないが、「これで紅白へ」という意気込みらしい。
「星つむぎの歌」
それから、谷川俊太郎氏と覚和歌子氏の対談。
漫才のごとくにおもしろくて、爆笑。
谷川氏:連詩のご経験があると、さきほどおっしゃられておられましたけど。
覚氏:そこはあまり深くつっこまないでください。
谷川氏:詩に曲をつけられると、どうして、こんなにしてくれたかと思うこともあるんですよ。どれとはいいませんけどね。
覚氏:はい、どれとは聞きません。
覚氏:でも、どうして、宇宙連詩なんでしょうね。だいたい、四字熟語って、硬いんですよね。
谷川氏:宇宙ステーションにおいてある間はいいですけどね、これが宇宙空間を漂っていって、誰かが読むとしたらねえ。誰が読むんでしょうね。宇宙人?
覚氏: 私、今、谷川さんにソックリな宇宙人が読んでいるのを想像してしまいました。宇宙人に似ているっていわれません?
(会場、笑い)
谷川氏:私は日本語が宇宙人に伝わると思っているんですよ。いえね、波動としてね。
最初の詩集「20億光年の孤独」では、火星語を書きました。ネリリ・キルル・ハララ、ですね。
そのあと、火星人がいないとわかって、がっかりしました。
(注:発言内容については、録音を禁じられていたため、正確ではありません。違っていたら、ごめんなさいです。)
なんでも、この宇宙連詩は、アフリカのウガンダの中学校へ行って展開することになっており、来年の世界天文年にも公式にとりあげられるそうだ。
ひとつだけ、とても残念だったのは、こんな豪華メンバーですばらしいシンポジウムで、たぶんかなりお金もかかっているだろうに、ホールの半分くらいしかうまっていなかったこと。こんなことなら、もっと宣伝してさしあげればよかったのかもしれない。
しかし、そういう小さいことは気にせず、「つながりを作る」活動をされている関係者の皆様は、のびのびとやっていっていただけるといいと思う。
カムイ君のひな祭り
本日、3月3日早朝、カムイロケットの打ち上げが無事成功した模様。(十勝毎日新聞の記事はこちら)
ヨカッタヨカッタ。おめでとうございます。
大樹町は快晴だった模様。
白い雪原から青い空に向かっていくカムイ君は、きっと最高に気持ちよかったに違いない。
カムイスペースワークスブログで、植松さんが写真をアップされている。見るからにすがすがしくて、気持ちがよさそうな青い空だ。
HASTICの伊藤先生からは、打ち上げのご連絡をいただいていた。今回の打ち上げは、「安全対策」重視で、特に技術的に新しいことに挑戦してはいないとのことだが、この後に続くであろうことをほんの少しでも知っていれば、この打ち上げ成功には実はとても大きな意味があることがわかる。
「さらりと」成功することが、どうしても必要だった。
本日、3月3日はひな祭り。
ロケットは、雄雄しいもの、「男の子の夢」というようなところがある。
「昭和のロケット屋さん」を読むと、元「男の子」たちが熱狂して取り組んでいるのがよくわかる。そうして、そういう話を聞いて熱狂するのも、男の子たちである。カムイチームもほとんどが「男の子」である。
カムイロケットは、その常識を打ち破っていくかもしれない。
宇宙開発は、垂直方向にいきがちで、そのこと自体は悪くない。
宇宙開発は国家プロジェクトだったから、水平方向への広がりなど、これまで不要だった。むしろ、「ロケット技術が広まったら、テロに使われる」などといわれて、抑えられてきたともいえる。
水平方向への広がりがどんな未来を創っていくのか。
あるいは、それはいったい必要なことなのか。あるべき姿なのか。
これから、大樹町では、東海大が彼らのハイブリッドロケット打ち上げ実験を行うことになっている。3月7日から10日まで、2本の打ち上げが予定されている。30人以上の大学生が北海道へ行ってロケットの打ち上げ実験をする。
打ち上げの日、晴れますように。
みんな、元気で無事に帰ってこられますように。
そうして、できましたら、ロケット打ち上げが成功しますように。
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「昭和のロケット屋さん」は、お勧めです。
「キューブサット物語」でお世話になった編集者さんのセンスと工夫が随所に光っています。
お宝映像DVDつきです。ぜひご一読を。





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