10の悪行
チベット仏教のクラスで、長年の疑問を先生に質問してみた。
10の悪行ということを先生が話されたときのことだ。
うそをつくこと、人を傷つけるようなことを言うことは10の悪行の中に入っているそうだ。
けれど、真実を言ったら、人を傷つけることがわかっているとき、うそをついたら、やっぱり悪行をしていることになるのだろうか?
事実をそのままに言ってしまったら、困る人がいるだろうなあということが、いろいろあって、私は最近、あまり話さなくなってしまったように思う。誠実さ・正直さを大切にする自分のキャラとは違うので、ストレスがたまる。
先生は、おもむろに答えられた。その答えは、私の予想をはるかに超えた衝撃的なものだった。
「動機が重要です。動機が善であれば、許されることもあります」
「ブッダが菩薩として修行していたとき、500人乗りの船に乗っていました。ブッダはそのとき、人の心を透視することができました。そして、一人、とても悪い心を持っている人が乗っていることに気づきました。その人は、499人の人を殺して、船に乗っていた宝を独り占めしようとしていたのです。それで、ブッダはその男を殺しました」
人を殺すのは、悪行の中でももっとも悪いこと。それをしてしまったら、悪いカルマを背負うのではないのだろうか?
「ブッダは、499人の命を救うことと、一人の悪人が恐ろしいカルマを背負うことから救うことを願って、その男を殺しました。動機は善です。でも、だからといって、ブッダが人を殺したというカルマから逃れられるわけではありません。ブッダはそれを背負わなければなりません。でも、それは、普通に人が人を殺したというカルマと比べて、はるかに小さなものとなります」
うーむ。結局、手を下した人はカルマを背負うのか。。。無条件に許されるということではないらしい。それに、よかれと思ってしたことが、実はめぐりめぐればよくなかったということもある。
「石になることも必要です。うそをつきたくない、傷つけたくないというときには、黙っているという選択肢もあるでしょう」
最近、ある方に、私が知っていることをお話した。それによって、その方は困っただろうけれど、それでも「真実」を受け入れてくださった。(知ったからといって、すぐに次の行動に移せるわけではないようではあるが)
強い方でよかったけれど、私はネガティブに聞こえることを口にしなければならなかったから、たぶん悪いカルマを背負ってしまったのかもしれない。真実を言うべきか、人を傷つけないようにするべきか、本当に難しい。
事実をありのままに述べると、「悪口」に聞こえてしまうことがあるのは、私たちの誰もが経験済みのことだろう。よいところを見て、とはいっても、きれいに取り繕ったところで事態がよくなるわけではない。
私の動機は「善」だったと思うけれど、やはり後味はよくない。
レベルはあまりにも違うけれど、人を殺さなければならなかった、菩薩時代のブッダは、どんな気持ちだったろう。
見えてしまう人は、つらいのである。見えなければ、何も考えなくてよいわけだ。しかし、見えなければ、ただむなしく殺されてしまったわけなので、見えて、多くの方々を救えてよかったと思う。
今、必要なのは、強力で長持ちするコンバーター(痛みと苦しみを愛と光に変える)。
そして、ものごとの本質をしっかりと見つめる目。
そして、見えたことに対して行動を起こす勇気。
ほんの少しずつでも、学んでいけるといい。
ともに学ぼうとする人たちと励ましあえるといい。
人生は修行。
死ぬということから目をそむけてはいけない。
それまでに何を学べ、どう成長できるか。
10の悪行を解説してあるサイトがあったので、書いておこう。
身の三悪(正行)
殺生(せっしょう) ‐ 無意味に他人や衆生の命を奪うこと
偸盗(ちゅうとう)‐ 盗みのこと
邪淫(じゃいん)‐ 不淫らな異性交遊のこと
口の四悪(正語)
妄語(もうご)‐ 嘘をつくこと
綺語(きご)‐ 奇麗事を言って誤魔化すこと
両舌(りょうぜつ)‐ 二枚舌を使うこと
悪口(あっく)‐ 他人の悪口を言うこと
意の三悪(正思)
貪欲(とんよく)‐ 欲深いこと
瞋恚(しんに)‐ すぐ怒ること
愚癡(ぐち)‐ 恨んだり妬んだりすること
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Comments
老婆心さま
コメントありがとうございます。コメントの中身は私の頭では理解しきれませんでしたが、リラックスというところはよくわかりました。ありがとうございます!
赤塚さま
そうですね。。。修行にしては、楽しいこと、美しいことがたくさんあるようです。生きているのって、すばらしいですね。
おいしいコーヒーをゆったりした気持ちで頂くのも至福ですね。
Posted by: Rei Kawashima | 2008.04.22 07:55 PM
人生は、すべてが修行ですね。
Posted by: Hiroshi Akatsuka | 2008.04.21 08:07 PM
見えないことがあるから見えることがあり、死があるから性があり、悪があるから善があるような気がします。どちらが先でもなく、どちらも一緒であることが肝要です。カルマは悪に訪れるわけではなく、きっとその破れ目に訪れます。リラックス、ですね。
「人らしさ」は死の自覚からはじまります。表現は死の排泄物で、文化は死を克服する装置です。死に対する態度が「人らしさ」をつくってきました。きっと。
Posted by: 老婆心 | 2008.04.21 05:28 PM