ハッピーエンド
「末期がん」で治療法はないと宣告されている父といる時間は、たぶんあまりそう長くない。もしも今回、奇跡が起こって退院できるようなことがあったとしても、別れは必ずやってくる。
ほんの一口だけフルーツゼリーを「おいしい」と言って食べてくれるけれど、首から点滴をして栄養を注入して、文字通り「生かされている」状況。病院では、「苦痛を緩和する」対症療法をしてくださる。
寝ていても、苦しいらしく、点滴をやめて「自然死」したいという言葉が出てくる。
3週間も病室の天井だけを見ている生活をしていれば、気も弱くなるだろう。
それに対して、何を答えればよいのか。
「患者の家族」は悩む。
まだ、それほど厳しい選択をつきつけられてはいないけれど、そのうちに「延命しますか、どうしますか」とか「モルヒネを使いますか、どうしますか」という決断を迫られるだろう。
こうやって悩んでいる「患者の家族」はたぶん、全国にたくさんいらっしゃるのだろう。
ISTSという会議が来週浜松であるのだが、こういう状況なので参加は見合わせることにした。
お手伝いする予定だったができなくなったので、おわびのメールをいれたら、「実は自分も似たような状況で。。。」とのお返事。その方も参加できない可能性があるとのこと。
急に親近感が湧いてくる。
「患者の家族」の皆さん、心中お察しいたします。。。。
いたわりあって生きてまいりましょうね。。。
「ハッピーエンド」という言葉がある。
「王子様とお姫様はめでたく結婚しました。ハッピーエンド」というのがよくあるパターン。
結婚はエンドではなくてスタートであるのは、誰もが知っていることではあるが、物語としてはそこでエンドとなる。
幸せな人生のエンドというのは、どういうものなのだろう。
チベット仏教の高僧の方がお亡くなりになるときは、瞑想したまま静かに息をひきとるのだそうだ。
そして、あちこちに虹がかかるのだと聞いたことがある。
一日一日を大切に、とはいうものの、病院でベッドから起き上がれることもままならない父にそんなことを言ってもあまり説得力がない。
こういう悩みは初体験なので、どうしていいかわからないというのが正直なところ。
患者の家族は、一日でも長く生きていてほしいと思うわけだが、患者自身はどう感じているのだろう。
苦しいといわれると、こちらも苦しくなる。
口がかわくと言われれば、こちらも口がかわいてくる。
「ハッピーエンド」と思える人生を送ろうと強く思う。
そうして、父の人生はどうだったのだろうと思う。
終わりよければ、すべて良し、とも言う。
そうなるチャンスを今、彼は持っている。
そのチャンスを生かせるように、できるだけのサポートをしよう。
日大と東工大の衛星くんは、ちょうど「生誕1ヶ月」。
違法電波が多くて、なかなか通信にてこずっている様子だけれど、元気そうで何より。
元気なうちに、できるだけのこと、やりたいことはやってみたらいい。
ハッピーエンドは、ハッピースタート。
終わりがあるから、始まりがある。
それはきっと、スパイラル状になって、未来に続いていく。
よき未来があちこちでポコンポコンと生まれていきますように。




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