ホクロをとる
ちょっと思うところがあって、ホクロをとることにした。
私は直感で動く。今回もそれだ。
子供のころから顔にあり、慣れ親しんできたホクロくんだが、ちょっと大きくなりすぎて、われながら違和感がある。
不要なものが成長していたら、除去する選択肢を考えてみるのは悪くない。
最近では、レーザーで「簡単に」取れると聞いていたので、気軽な気持ちで病院へ。
選んだ病院は、「美容外科」がありがちな銀座とか表参道ではなく、JR線の某駅近く。山手線の外側。
この病院。
保険はききませんと、電話で問い合わせたら、あっさり言う。
ドアが自動でない。
靴箱がなく、玄関にはスリッパにはきかえたあとのお客さんの靴があふれている。
レーザー治療器がたくさん(58台?)あって、症状にあわせて使い分ける(らしい)。
二階が治療室になっていて、エレベーターはなく、階段で登る。
土曜日だったせいか、お客さんがたくさん。男性も多い。
年中無休で治療をしている。
院長の手になる書籍がたくさん。
治療費は、カウンセリングルームで告げられ、そこで治療を受けるかどうか患者が決める。
「何もなかったようにはならない」とあらかじめ告げる。
さて、この描写を読んで、どんな風に思うだろうか。
「おしゃれ」を売っているのでなく、「治療技術」を売っているのだなあという感じはする。腕が確かかどうかは、3回の治療が終わる予定の半年後にわかるだろう。
不要だが害はないと思ってそのままおいておいたら、それがどんどん大きくなってしまった。
なんとなく邪魔なのだが、ずっとそこにあるので、そのままにしてある。
こういうものは、案外多い。
人間関係や組織など、あるとき偶然に、あるいは必要だったからできたものが、不要になってもそのままに残り、そうして、どうしようもなく大きく重たくなって、自分一人の力ではなんともできなくなってしまったことは、誰もが経験があるだろう。
昨日と今日ではあまり違わないが、たとえば10年前と比べてみると、その違いは明らかだ。それでいて、それがなかったときはどうだったか、よく思い出せない。
そういうときにどうするか。
そのままほっておくのも選択肢のひとつだが、変えようと積極的な努力をすることもできる。
いわゆる「美容外科」に行って、思ったこと。
そこには老若男女が多数来ているわけなのだが、その人たちは、確かに「自分自身」に積極的にかかわっている。
いやだと思うことがあったら、そのままにしておかずに、痛い思い(レーザーだって痛くないわけではない)と保険のきかない高額治療費を払って、自分の人生に「変化」を起こしているわけだ。
「変だ、いやだ、おかしい、不愉快、理不尽」と思うことを、「しかたない」とそのまま受け入れるように気持ちを切り替える方法のほうが、楽でコストがかからないので、そちらがオススメかもしれない。
けれど、そうではない選択肢をあえて選んでみる。
そうすることによって、仕事やほかのことでも、思い切った決断ができていくように思う。
今、そういうことが必要な時期かもしれない。
自分で考え、実行する。失敗したとしても、自分で決めたことなら、そこからたくさん学べるだろう。
半年後が今からとっても楽しみだ。
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Comments
ありがとうございます!
たぶん、何を選んで何をしても、「よかった」と思えるのだろうなーと思いますが、半年後、いろんなことが大きく変わっているだろうと思います。その中で、変わらないものを見つけるのも楽しみの一つです。
Posted by: Rei | 2009.01.17 12:51 AM
半年後によかったと思えるといいですね。
Posted by: 赤塚 洋 | 2009.01.16 09:00 PM