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お彼岸

Sakura

3月20日、春分の日。この日はお彼岸。

お墓参りへ行く。
午前中は雨だったが、お昼にはやみ、午後は晴れて暖かくなった。

たくさんの方がきているのに驚く。
雨があがってどっと繰り出した皆さんで、駐車場はみるみる一杯になった。

お墓のお掃除をして、花を飾る。
お線香を焚いて、おまいりする。
することが決まっているのは、ある種の安心感を与えてくれる。

これまで、親戚縁者と離れた核家族だったので知らなかった世界。
家族みんなでおまいりするのが、日本のお彼岸の過ごし方だったのか、、、などと、たいへん遅まきながら学ぶ。

この翌日、母が、学生時代の友達に会うというので、東京駅まで送っていった。八重洲中央口で待ち合わせ。父が亡くなってから、電車に乗るような外出をしなくなっていた母は、昔の友達に会った瞬間に、娘時代に若返って、満面の笑み。こんな顔を見るのは、久しぶり。

すべては絶妙のタイミングで起こる。
いいときに、いい友達が現れてくれる。
学生時代に戻って、笑い転げれば、誰だって元気になる。

それから一人で上野へ。
お天気がよいので、公園の中を歩いて帰ろうと思った次第。
しかし、なぜかふらふらと博物館へ。常設展だけなので安い。

Smile
そこで、運命の人(ではないが)に出会ってしまった。
美しい、静かな、穏やかなお顔。
ずっといっしょにいたいと思うようなお顔。
すいていたので、どなたかにご迷惑をかけることもなく、ずっと見つめていられた。
お顔しかないけれど、もとはお体もあったのだろうか。

最近、いろいろ疲れることが多いし、NOと言わなければいけないこともけっこうあるし、NOと言われることもある。
そういうとき、人並みに繊細な神経はとても疲れるのである。

そんなときに、こういうお顔に出会える私はなんと幸運なのだろう。
すーっと、痛みが消えていくような感覚の揺らぎの中にいるのは至福。

こんな微笑をたたえる人になれたらどんなに素敵だろう。
折にふれ、このお顔を思い出すことにしよう。

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ヘブン・アーティスト

お天気がすばらしくよかった日曜日。

東京藝術大学の奏楽堂。
パイプオルガンやチェンバロのミニコンサートが日曜日にはある。
精神的に疲れたときには、やはり音楽に限ると思い、出かけた。
演奏者は芸大の学生さん。入館料だけで楽しめるとあって、けっこうな人気がある。

さすがにお上手。
フジコ・ヘミングさんとまではいかなくとも、もう少し人生経験を積めば、すばらしい演奏家になられるのではないかと思いつつ、日ごろの疲れのせいか、心地よい音楽のせいか、ややうとうととしてしまい、演奏家の方にはたいそう失礼なことをしてしまった。ごめんなさいである。

その後、風邪をひいたという母の見舞いのため、上野駅へ向かう。途中、上野公園を散歩。
そろそろ早咲きの桜が咲いていて、春がそこまできている感じ。こういう日は、歩くのが楽しくてたまらない。

ちょうど上野公園の真ん中あたりにさしかかったときである。
うん?妙なる音楽が、、、、。
ふりかえると、ひとだかり。ストリートミュージシャンである。

なにやらノボリがひらひらとしていて、「ヘブンアーティスト 東京都」と書いてある。
ちゃんと東京都に選抜されて、アーティストとして登録している方らしい。

ギター一本にアンプをつなげてひいている背の高い方がかもし出す音楽は、確かに「ヘブンアーティスト」の名に恥じないもので、思わず立ち止まって、人の輪に入ってしまった。

細い長い指がギターの弦を魔法のように操っていく。
ギターだけなのに、パワフル。それでいて、心にしみる何かがある。

不覚にも涙が出そうになる。なんでしょう、これ、という感じ。

そして、よく見ると、この演奏者の方は、たいそう美しい。
男性だが、「美しい」という言葉がよく似合う。

ダニエル・コフリン(Daniel Coughlin)さんとおっしゃるらしい。

一曲ごとにチューニングをする。
私はチューニングしている音が好きなので、これもいい。

最後の曲が「戦場のメリークリスマス」。
ギターで聞いたのは初めて。

思わず、CD(1000円)を購入。こんな音楽を聞かせていただいて、ただで帰るのは申し訳ない気もしたし、もう一度聞きたいような気もしたから。

なんだか思わぬところで、素敵な拾いものをしたような気分。

この方がメジャーになられたとき、彼の演奏を上野公園で聞いた方々は、自分がどれほど幸運だったか、感謝することだろう。


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おくりびと

グッドタイミングの映画に出会えた。
アカデミー賞を受賞したということで、にわかに脚光を浴びている映画「おくりびと」。

普通ならこういう辛気臭い(ように思える)映画を見ることはないと思うが、アカデミー賞のおかげで、見ようというモチベーションが起こった。

昨年父を亡くした私にとっては、驚くほどにタイミングがよくて、「世界は私のために回っている」のではないかと錯覚するほどだった。チケットを日曜日に予約したら、土曜日にはその特集番組があり、滝田監督が10年前に撮った「秘密」という映画がテレビで放映された。「おくりびと」の予習もしっかりとできたところで、映画館へ。タオルハンカチとティッシュも用意。

アカデミー賞効果はてきめんで、映画館はほぼ満員。

この映画、涙を誘うのかと思ったら、映画館では笑い声がよく起こる。あちこちに笑える仕掛けがあり、「死」というテーマをとりあげていて、重苦しくない。

山形の美しい風景がまたいい。チェロの響きもすばらしい。

父が亡くなって、病院での日々とか、最期のお別れのこととか、葬儀のこととか、いろんなことが記憶の中でごっちゃになってときどき押し寄せてくるので、整理したいと思っていた矢先のことだった。

映画の中で、妻に先立たれた男が、お棺の中で眠る妻の顔を見て、
「今までで一番きれいでした」と、納棺師に御礼をいう場面がある。

お棺に入っていた父の顔はとてもきれいだったのを思い出した。病気と闘っていた様子などまったく感じられないような顔だった。生きているようにも見えて、本当に不思議だった。すべて、葬儀屋さんにセットでお願いしたので、何がどうなったのかは知らなかったのだが、そういうことだったのかと納得。(メイクアップ料は、確か1万5千円だったと思う。)

死は終わりでなくて、旅立ち。
だから、きれいにして見送る。

「いってらっしゃい、また会おうね」

そんな言葉は慰めにもならないことはわかっている。けれど、こればかりは仕方のないこと。どんな風に生まれてきても、どんなにりっぱに人生を生きても、必ず最後がくる。

でも、それをあえて「最後」といわず、「門」という。この門をくぐりぬけて、次の世界に行くのだと。

英語のタイトルは「Departures」。
中国語のタイトルは「送行者」。

納棺師は、お茶の作法のように、ひとつひとつ動作を決めていく。
心が動作になるのでなく、動作の形が心になる。
海外の納棺を見たことがないからわからないけれど、こうやって改めてみると、日本の納棺はなかなかいいと思う。

「故人のお世話」をするのは、「体の悪い方をお世話」するのと何も変わらないと思うと、その職業についている方がインタビューに答えていた。

「死」に対する見方、感じ方が変わることで、何かが変わってくるのではないだろうか。
もちろん、よい方向に。

そんな予感を持った。

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