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KUKAIこぼれ話

12月11日、12日の二日間、UNISECのワークショップで香川大へ。
よいエネルギーをたくさんもらって帰ってきた。

香川大の衛星KUKAIに関わったという苧側正明(おがわ・まさあき)さんから、
KUKAIこぼれ話をうかがったので書いておきたい。


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苧側さんは香川大の学生ではない。某大手企業の管理職である。

彼が「超小型衛星」とか「大学衛星」に興味を持ったのは
7年前(2004年)の夏。

東京大学の中須賀先生が子供たちに講演をするため、香川に来られたときのことだ。
講演は聞けなかった。駐車場の整理係をしていたからである。

そのときの感想は、
「へえー、こんなことをやっている人たちがいるんだ」

JARL日本アマチュア無線連盟で衛星通信の実績はあったし、
JAS-1(アマチュア無線衛星1号機)に携わった人たちもよく知っていたから、
衛星を作るということには違和感はなかったが、
大学生がやっているという話にはびっくりした。

大学衛星を香川でやろうという話が持ち上がったのは、その年の暮れのことだった。
翌年2005年の正月に宇宙少年団の団長から、協力してほしいと言われ、
1月30日の「香川衛星開発プロジェクト構想発表会」は
宇宙少年団が段取りして、岡内団長指示で行った。

けれど、その後2ヶ月くらいで宇宙少年団は手を引くことになった。
団長と大学側で、どうしても意見が合わなかった。

苧側さんは宇宙少年団の所属ということで
参加していたので、普通ならここで去るはずだった。

しかし、ここで、苧側さんは、手を引かないという決断をする。

構想発表会などで能見研究室ではロボット工学的には問題無いが、
通信システムの処は何にもノウハウを持って無いことが判明し、
このままでは不可能であることが判っていた。

自分が残ることで、是非とも成功へとの強い思いがあった。

また、当時宇宙少年団では団長の次に指導的立場であったので、
つまらないいざこざで小中学生の子供たちが学ぶ場を無くしたくはなかった。

そうして、みんなが引いていく中で、
「香川サット推進クラブ」を民間の応援部隊で立ち上げた。

民間会社で仕事をしていれば、資金面の困難は容易に想像がつく。
資金集めを目的として、広報主体で頑張り、技術支援もわかる範囲
ならと支援した。

特に色々なアンテナ製作を経験していたので、大井さん(JR5COY)ら
アマチュア無線の仲間と太陽電池パドルアンテナを提案した。

広報サイト(香川県ITCセンターe-とぴあ・かがわ))

もともと、苧側さんはアマチュア無線普及活動をしていて、電波による観測は
1969年暮れから始め、今はHRO-FFTで管理できる実力派。
アマチュア無線を使った流星観測は得意中の得意。

JARL技術研、JAMSATにも友達がいるし、
宇宙少年団リーダー研修で的川先生とも面識があった。
しかも、衛星に必要不可欠な周波数の手続きをしてくれる総務省とも話ができる立場だった。

そんなこんなで、香川衛星に首までつかった苧側さんは、
忙しい業務の合間をぬって、週に2,3日は香川大学に来て、
衛星作業を手伝うことになる。

夜7時くらいから深夜まで、ひたすら作業する。

一人で仕事をするのはつらいが、
アマチュア無線の仲間たちが参加してくれた。
詫間さん(JA5UVT)は、当初から献身的に作業をしてくれた一人だ。

「苧側さんがいうなら仕方ないなあ」といって、
参加してくれた人たちといっしょにアンテナを作った。

KUKAIは、テザーミッションなので、テザーにアンテナが
ぶつからないように工夫しなければならない。
試行錯誤の末、アンテナを衛星にはわせることになった。

太陽電池パドルアンテナの調整は難航した。
うまく動作せず、調整に1ヶ月以上もかかった。
夜が白々と明けてくるまで、何度も研究室と会社を行き来した。

そんな生活を続けていて、「嫁に逃げられなかった」のは、
流星観測で夜にいないことがよくあったから、と苧側さんは笑う。

唯一、心残りがあるとすれば、打上を見にいけなかったこと。

種子島から打ちあげられるというその日、仕事でゴルフ場にいた。
空に向かうボールを見ながら、打ち上げのことばかりを考えていた。
心配で心配で、ゴルフどころではなかった。

だから、初周回の信号を受信したと電話連絡があった時は、泣けた。
言葉にならない何かが、涙となって出た、といえばいいだろうか。

香川の大学衛星KUKAIは、学生衛星というよりは、苧側さんのような
「巻き込まれてしまった人たち」が集まって作った地域衛星といってもいい。

KUKAIは、実験としては、大成功したとは言えない。
テザーのリールがきちんと機能せず、思うようには動かなかったからだ。

けれど、二歩目を踏み出すことのできる体力・気力・環境はできたようで、
二号機を着々と製作中。

二歩目を踏み出したということに、まずは拍手を送りたい。

趣味というにはあまりに多くの時間とエネルギーを費やす衛星製作に
「巻き込まれた」苧側さんは、しかし、いい顔をしている。

次回は、奥様といっしょに種子島に打ち上げを見に行こうと思っている。

「笑顔が本物」の大人たちが多くなればなるほど、
この国は住みやすいところになるのではないだろうか。

さすがにおいしい本場の讃岐うどんを食べながら、
そんなことを考えた。


最後に、香川大の能見先生とワークショップ受付をしてくださった
学生さんたちの写真を載せておこう。

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