おくりびと

グッドタイミングの映画に出会えた。
アカデミー賞を受賞したということで、にわかに脚光を浴びている映画「おくりびと」。

普通ならこういう辛気臭い(ように思える)映画を見ることはないと思うが、アカデミー賞のおかげで、見ようというモチベーションが起こった。

昨年父を亡くした私にとっては、驚くほどにタイミングがよくて、「世界は私のために回っている」のではないかと錯覚するほどだった。チケットを日曜日に予約したら、土曜日にはその特集番組があり、滝田監督が10年前に撮った「秘密」という映画がテレビで放映された。「おくりびと」の予習もしっかりとできたところで、映画館へ。タオルハンカチとティッシュも用意。

アカデミー賞効果はてきめんで、映画館はほぼ満員。

この映画、涙を誘うのかと思ったら、映画館では笑い声がよく起こる。あちこちに笑える仕掛けがあり、「死」というテーマをとりあげていて、重苦しくない。

山形の美しい風景がまたいい。チェロの響きもすばらしい。

父が亡くなって、病院での日々とか、最期のお別れのこととか、葬儀のこととか、いろんなことが記憶の中でごっちゃになってときどき押し寄せてくるので、整理したいと思っていた矢先のことだった。

映画の中で、妻に先立たれた男が、お棺の中で眠る妻の顔を見て、
「今までで一番きれいでした」と、納棺師に御礼をいう場面がある。

お棺に入っていた父の顔はとてもきれいだったのを思い出した。病気と闘っていた様子などまったく感じられないような顔だった。生きているようにも見えて、本当に不思議だった。すべて、葬儀屋さんにセットでお願いしたので、何がどうなったのかは知らなかったのだが、そういうことだったのかと納得。(メイクアップ料は、確か1万5千円だったと思う。)

死は終わりでなくて、旅立ち。
だから、きれいにして見送る。

「いってらっしゃい、また会おうね」

そんな言葉は慰めにもならないことはわかっている。けれど、こればかりは仕方のないこと。どんな風に生まれてきても、どんなにりっぱに人生を生きても、必ず最後がくる。

でも、それをあえて「最後」といわず、「門」という。この門をくぐりぬけて、次の世界に行くのだと。

英語のタイトルは「Departures」。
中国語のタイトルは「送行者」。

納棺師は、お茶の作法のように、ひとつひとつ動作を決めていく。
心が動作になるのでなく、動作の形が心になる。
海外の納棺を見たことがないからわからないけれど、こうやって改めてみると、日本の納棺はなかなかいいと思う。

「故人のお世話」をするのは、「体の悪い方をお世話」するのと何も変わらないと思うと、その職業についている方がインタビューに答えていた。

「死」に対する見方、感じ方が変わることで、何かが変わってくるのではないだろうか。
もちろん、よい方向に。

そんな予感を持った。

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旭山動物園物語

2月11日 建国記念日。
何の日なのか忘れたまま、ただお休みになった一日。
しかし、神様がくださったような素敵な一日になった。

ちょっと塩をまきたいことがあったので、気分転換に映画に出かけることに。

寝床には怒りと悲しみは持ち込まないことにしているのだが、そういう調整がうまくいかないこともたまにはある。そういうときは、うんと自分をケアしてあげよう。

というわけで、またまた映画へ。
ラッキーなことに、レディースデイとかで映画が1000円だったので、旭山動物園物語を見にいく。母も誘ったら、喜んできてくれた。

マイカルの映画館には何回かきたことがあるけれど、こんなに混んでいるのを見るのは初めてというくらい混んでいて、ネット予約をしていなかったのであまりよい席はとれなかった。前のほうだし、端っこだし、、、

しかし、映画が始まったら、席のことなどすっかり忘れてしまった。むしろ、前のほうだったので、すごい迫力で象やら白熊やらペンギンが迫ってきて、非常によかった。

結論: 元気になっちゃいましたー!

話の内容は知っているのだが、すばらしい俳優陣(贅沢に人を使っているのです、これが)の演技力と何よりも動物たちのパフォーマンスがもう言葉にならないくらいよくて、たっぷり喜怒哀楽を味わうことができた。映画の力はすごい。

旭川は、私が昔住んでいた赤平からもわりと近い。窓ガラスが凍り付いて美しい模様になっているのとか、雪の夜道の車のヘッドライトのぼんやりした明りとか、鋭いつららが屋根の下に並んでいるのとか、そこのところも懐かしく楽しい。

それにしても、実話であるのが信じられないような話だ。
つぶれかけた動物園をスタッフが協力して救い、上野公園よりも多い入場者数を誇るようになった。
そのキーになったのは、「動物たちの本来の姿を見せよう」ということだった。
園長さんの情熱と信念とねばりは、いったいどこからきたのだろう。

本当に勇気づけられるし、励まされる。

最近、いい映画が多いような気がする。
いい世の中になっていく前触れかもしれない。
というよりは、そうだったと思えるような選択をしていこう。


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マンマ・ミーア!

1日は映画が1000円でみられるとのことで、映画館へ。
父が亡くなってから、母があまり元気がないので、ちょっと元気の出そうな映画に連れ出すことに。

運のいいことに、実家のそばには、マイカルの映画館がある。歩いていけるところに映画館があるというのはちょっと贅沢な気分。インターネットで指定席の予約もできて、とっても便利。

お目当ては「マンマ・ミーア」

ABBAの曲で作られたミュージカルの映画化と聞いていた。
暗かったり重かったり悲しかったりする映画は避けたかった。楽しそうなのが一番。

結論:二重丸。いや、花丸。

結果:ABBAのCDを思わず注文してしまった。(同じ想いの人が多いらしく、数週間待たないといけないらしい)

メリル・ストリープという女優さんは、天から何かギフトを授かっているに違いない。
この人の演技力はすばらしいと思っていたけれど、歌唱力もすごい。

伝える力、表現する力。
内からはじけでるような何かをこの人は持っている。

「The winner takes it all」を映画の中で歌うシーンがあるのだが、これがすばらしい。
勝者と敗者は、そんなふうに簡単にわりきれるものではないけれど、確かに心に届く。

悔しかったり悲しかったりした経験は、きっと誰にでもあるだろう。
その感情を追体験させてくれて、泣かせてくれて、そうして、そのあとで幸せな時間が来て、心が温かくなる。

この「落としておいて」「ぐっとひきあげる」のがいいのだろうかなどと思いつつ、素敵な音楽と輝くギリシャの海と空をバックにした美しい映像のすっかりひきこまれた。

母も喜んでくれて、ささやかな親孝行もできてよかった。

いま、元気がない人が友達や家族にいるなら、誘ってあげるといい。
話を一生懸命聞いてあげるのもいいけれど、こういう映画にさらりと誘ってあげるのもきっといい。特に、自分が疲れているときは、共倒れになってしまうから、外の力を借りるといい。

次は、「旭山動物園」の映画でも誘ってあげようかな。
結論がわかっていても、やっぱり感動してしまう人は、「模範的映画客」。

私は、まず間違いなく、その一人。

ご同類の皆様、なにごとも模範となるのはよいことですよね。
堂々と、映画館で涙と笑いにまみれましょうぞ!


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フラガール

ずっと見たいと思っていた映画「フラガール」をやっと見ることができた。半年以上の間、レンタルショップで借りることができなかったのだが、やっと入手した。

常磐ハワイアンセンターの設立の際にがんばってフラダンスを覚えた炭鉱の娘たちの物語なのだけれど、炭鉱で育った私にはとてもよくわかるところがあって、たくさんティッシュを消費した。

ネガティブなもの(借金)を抱えて東京からやってきたプロのダンサーが、炭鉱の合理化・首切りでネガティブな感情であふれている町で、ずぶの素人をプロのダンサーに育てていく。その過程で、ネガティブな気持ちが消えていき、やさしい表情になっていくのを、松雪泰子が好演している。本当にあった話がもとになっているせいか、説得力がある。

人生で起こることは、何も遅すぎることはないし、早すぎることもない。すべて、ベストのタイミングで起こる。

この映画のモデルになった方は、70歳を過ぎた今も、「フラガール」養成に勤しんでおられるという。40年たって、自分がモデルの映画ができるのは、どういう気分なのだろう。

「カムイロケット」が主人公の「夢の扉」を途中から見た。ビデオにもとれなかったのだが、「困ったときの植松電機の安中さん」が送ってくださるとのことで、ただ感謝。(道内限定番組もいっしょに送っていただき、さらに感謝)

何十年かたったときに、「カムイボーイ」みたいな映画ができるだろうか。

「カムイロケット物語」の第一巻は、私の中ではすでに終わっている。構想もできつつある。あとは書くだけだ。第二巻がどうなるかは、まだわからないけれど、何かが起こりそうな予感がある。

10月下旬に、札幌で宇宙科学技術連合講演会がある。「ウカレン」と呼ぶことが多い。そのテクニカルツアーのひとつに、「植松電機訪問」がある。せっかくなので、参加することにした。

また、新しい何かに出会えることを楽しみにしている。


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地球交響曲第六番

恵比寿ガーデンプレイスへ。

お目当ては地球交響曲の第六番
一番から五番まで、すべて見ているが、見ながら眠ってしまうほどの気持ちのよい作品ばかり。(つまらないから寝る作品もあるだろうけれど、これは違う。あまりに気持ちがよいので、リラックスできるのである)

第六番のうわさは、かなり前から聞いていた。
シタールの巨匠、ラヴィ・シャンカール先生が出演されるとのことで、これは絶対に見たいと思っていた作品だ。

「虚空の音」を奏でる奏者がいろいろと出てくる。いろんなところで音を真剣に奏でている方々がいる。映像も美しいけれど、その音がいい。

ラヴィ・シャンカール先生の語りがいい。この方はやはりスゴイ方である。61歳のときの娘、アヌーシュカさんに稽古をつけている場面もいい。アヌーシュカさんは、現代インドっ子というふうにも見えるけれど、演奏の腕は確か。世界中で演奏活動をしておられるそうだ。巨匠をお父さんに持つのは、どういう気分なんだろう。

インド古典音楽は、譜面はなくて口伝。師匠から弟子に伝えられる。師匠が歌って、その音をシタールでひろって、その場で覚える。

詳細は、実際の映画で楽しんでいただくとして、私が一番感銘をうけた言葉。

インタビュアーが、「若者にメッセージをお願いします」といったときのことだ。

「最近の若い方は、みなさん賢くていらっしゃるから、私などが言うことはなにも、、、」と謙遜したあと、

I am still learning.

と一言。

86歳(撮影当時なので、今は87歳)の、世界的に有名な、Established と思える演奏家が、そういうのである。

言葉は、誰が言うかによって、重みがまったく違ってくる。意味の深みが違う。

ああ、もう、本当に、私なんぞ、学び始めたばかり、いや、学ぶということを学んでいる最中かもしれない。
心の中にあった、学びをせきとめていた余計な想いはすべてふっとび、ただただ、学ぼう、学びたいと思った次第。もちろん、帰宅してから、シタールの練習に勤しんだのは言うまでもない。

シャンカール先生のほかに、ケリー・ヨストさんというピアニストとロジャー・ペイン氏(鯨の歌を生物学者として研究)が出演されている。

ケリーさんのピアノは、奇をてらわず、丁寧に、丁寧に音をつむいでいて、聞いていて涙が出てくるくらい美しい。演奏会などの華やかな活動は一切せずに、ただひたすらに、「光の音」を紡ぎだすことだけを考えて生きてこられたのだという。

サウンドトラック版CDが販売されていたので、購入。
美しい音楽は、魂を洗ってくれるように思う。鯨の歌も美しい。

5月27日まで、東京都写真美術館ホールにて特別上映中だそうだ。
(その後も、6月8日までは、一番から六番まで上映しているので、時間帯によって見ることができる)

東京に来るのは大変という方には、自主上映会が各地で開催されている。

お疲れの方、美しい音楽の世界に身を浸したい方には、オススメの映画である。

Beauty will save the world.  美しいものを見よう、聞こう、感じよう。
(ロジャー・ペイン氏の言葉)


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地球交響曲を1万人に

地球交響曲(ガイアシンフォニー)という映画のシリーズがある。
龍村仁さんが作り続けている映画で、5作目まで完成している。

この映画は、普通の映画と違って、有名映画館で上映されることはない。自主上映をあちこちでやっている。人に寄り添って作ったドキュメンタリーといったらいいだろうか。響く人には響く、不思議な映画だ。

この映画を1万人に見せるという目標をたてた方がいる。
青樹洋文さん。2年半ほど前のこと。ガイアシンフォニーのブログにも記事が載っている。

彼の上映会は、いつもKNOBさんのディジュリドゥで始まる。その演奏がまたすばらしい。ディジュリドゥというのは、シロアリが木の中を食べて空洞になったユーカリの木を利用した楽器で、口で吹く。しかし、口でずっと吹いていて、鼻で息をする演奏法なのだそうで、音が途切れることはない。アボリジニの楽器だそうだ。

そして、3月11日の土曜日、第四番の上映会で1万人を達成した。記念すべきその上映に、私は立ち会うことができた。彼のこれまでの歯をくいしばっての努力をほんの少しだけ知っていたので、そこにいて、祝福してあげたかった。

何不自由ない大企業のエリート駐在員からの転身。右も左もわからない中で、お金もなくコネもなく、何をしたらいいかもわからず、手探りで進んできた彼の「旅」。1万人達成したから何かが大きく変わるわけではないけれど、「やろうと思ったことができた」というのは、たぶん、何にも代えがたい収穫だろう。そして、旅で出会う人たち、触れ合う心。本当の旅をしている人なら、誰もが共感できるであろう「奇跡」の連続。

龍村監督ファミリーも駆けつけて、祝福。
龍村監督のヨチヨチ歩きのお嬢さんが、自分と同じくらいの大きさの花束を持って、青樹さんに手渡した。かわいらしいことこのうえない。彼女は、第五番に誕生シーンで赤ちゃん役(役といっても、演技をしているわけではないが)で登場している。あの赤ちゃんがこんなに大きくなって、と不思議な感慨。ここでは、観客と映画が一体になっている。

龍村監督と青樹さんの座談会が上演後行われた。

龍村監督は、「生活のため」に、地球交響曲を製作したという。青樹さんは、その話を聞いて、「生活のため」に上映していいんだ、と思ったという。

この映画は確かに人に感動を与え、崇高なる何かを感じさせるのだけれど、その舞台裏はやはり人間の営みがあるわけで、もちろんお金の苦労もある。

「聖なるものは、最も俗なるものから生まれる」と監督。

俗なるものから聖なるものを生み出せるのが、本当の人間の力なのかもしれない。俗なるものから俗なるものを生み出しているのでは、単細胞の分裂と変わらない。

今、撮影中の第六番は、響きあう音がテーマだそうだ。そして、シタールのラビ・シャンカール氏が登場するという。彼は私の師匠の師匠。恐れ多く、また自分の腕を考えると、とてもそのようなことを口には出せないが、事実関係はそうなっている(のが我ながら信じられない)。第六番を見るのが今から楽しみだ。

青樹さん主催の地球交響曲の次回上映は3月25日。青山の東京ウィメンズプラザで。詳細はこちら

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地球交響曲第五番

地球交響曲第五番を上映しているというので、行ってみた。前売り券を買いそびれてしまったせいで、当日券の列に並ぶ。前売り優先という主催者の意向だったので難しそうだったが、なんとか首尾よくすべりこむことができた。

時間になってもはじまらないと思っていると、龍村仁監督が出てきて、ちょっとしたご挨拶。かざらない人柄と服装。地球交響曲のこれまでの4作品はすべて見ているが、5番はちょっとした「同窓会」の趣もあり、89年に作り始めたというこのシリーズの「とき」の流れと「人」の輪を感じさせる。

今回の登場人物は、西表島で伝統の染色を復活させた石垣昭子さん、ブタペストクラブのアーヴィン・ラズロー博士、
自然なお産ができる「お産の家」を作った産婦人科医の大野明子さん。地球科学の研究者としてのキャリアを捨て、医者になったという。

他に、元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏とナンシー夫人、ガイア理論の提唱者であるジェームズ・ラブロック夫妻、ダライ・ラマ法王、心を病んだ人を受け入れる森のイスキア主宰の佐藤初女さん、野生チンパンジー研究家のジェーン・グドール女史、版画家の名嘉睦稔さん、トマトの大木を作った故野澤重雄さんとそのご子息。グランブルーの故ジャック・マイヨール氏、アラスカの動物写真家だった故星野道夫さんが、画面に登場。

出演者一人ひとりが本当に魅力的ですばらしい。分野は違っても、それぞれが輝いて生きているのがわかる。そして、うれしいことに、私は彼らが発する何かを頭でなく心でとらえることができたような気がしている。

「情報は時空を超えて、決して消え去ることはない」というラズロー博士の言葉。

この数日、私は頭痛と肩こりに悩まされ、どうにも調子が悪かった。ちょうど、ロシアの学校で人質事件が起こっていた3日間だ。情報がここまで伝わってきたのだろうか、あるいはシンクロしていたんだろうか、などと考えてしまう。当事者の痛みは想像することすらできない。ニュースを見た人たちの心の痛みはそれぞれに違うだろうが、少しはわかりあえるだろうか。本当に痛ましくて痛い。なぜこんなことを人間ができるのか。

そんな痛みに、映画の中のダライ・ラマの言葉がしみる。

「苦しみが慈悲の心を育てるんです」
「悲惨なニュースはすぐにニュースになって、思いやりのあることはニュースになりません。これは、悲惨なニュースは心に衝撃を与えるからです。思いやりはあたりまえのことだから、ニュースにならないのです。われわれは、思いやり(Compassion) があたりまえの社会に生きているのです。思いやりの心を深めていきましょう」

ノーベル賞を受賞された小柴先生が、ダライ・ラマに向かって言う。
「ダライ・ラマのようなお方でも、ビン・ラディンとお話が通じるとは思えないですが」と。

いつも仏像を携えている人と、銃を携えている人と。
鎧兜をとって、ゼロになったら話せるのかもしれないけれど、鎧兜が皮膚の一部になってしまっているような人はけっこうたくさんいる。ビン・ラディンになってはいなくても、仮面をかぶって普通の生活をしている人は少なくないだろう。それは自然にはがれるときがくるのだろうか。かさぶたのように、ぽろりととれる日がくるといいと思う。

ラッセル・シュワイカート氏とナンシー夫人が広島をおとずれるシーンがある。「サダコの折鶴」の前でたたずむ二人。ナンシー夫人の言葉がまたしみる。

「13万人という死者の数を想うより、サダコというたった一人の少女の希望や悲しみに寄り添うほうがすべての生命を思いやることに繋がると私は思います」

回り道はするけれど、紆余曲折はあるけれど、それでも、私たちは全体としてよき方向へ向かっているのだと信じたい。

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