I DREAMED A DREAM

世界で多くの人が感動した歌声を聴いてみた。

Susan Boyle(スーザン・ボイル)さんの「I Dreamed a Dream」。

うーむ。
これはすごい。確かにすごい。

歌う前と後の審査員や聴衆の反応があまりにも違っているのが滑稽でもありリアルでもある。
歌唱力がすばらしいのはもちろんなのだが、そういうことを超えた何かすごいものが伝わってくる。

この人の生きてきた命そのもの、この人の魂が歌になっている、といったらよいだろうか。

コメントに、「涙が出た」というのがたくさんあるが、確かにそのとおり。
何度も聴いたというコメントも多いが、私も何度も聴いてしまった。そして、そのたびにちゃんと涙が出る。

選曲もよかった。
独身で「キスもされたことない」という求職中の彼女が歌う、悲しい歌詞は妙に心に届いてしまうのである。

I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living
So different now from what it seems
Now life has killed The dream I dreamed.

描いていた人生とはまったく違う、地獄のような人生。惨めな姿。

直訳すると、「人生は私の夢を殺してしまった」。
なんという歌詞だろう。

この人の力で、世界中がこのテレビ番組を知った。そうでなければ知ることもなかった人たちの顔を見、聴いたことのなかった曲を聴いた。

You Tubeの力、ネットの力をまざまざと見せつけられたような気もする。

そして、スーザンが「なりたい歌手」として名前をあげたElaine Paige(エレイン・ペイジ)さんが歌っている同じ曲をYou Tube で見て、「えっ?」と思った。同じ感想を持った人のなんと多いことか。

スーザンの歌のほうが、ずっと自然で心に届くのである。
エレイン・ペイジの歌は、上手なのだろうけれど、「ニセモノ」に聴こえる。聴いて感動するということはない。演技している歌、とでもいったらいいだろうか。

自分の歌、自分に合った歌を歌うのが一番だと実感。
スーザンは、「夢破れた惨めな自分」を歌いつつ、とても幸せそうに見えた。
エレインは、「夢破れた惨めな自分」を、つらそうな顔を作りながら歌っているように見えた。

「夢」は、人生のどこかで持った妄想である。
誰かに吹き込まれたかもしれないし、勘違いしたのかもしれない。
それが破れたとして、なにほどのことがあろうか。
また別の「夢」を持てばいいだけのこと。

大事なのは、本当の自分でいること。
自然体でいられること。

スーザンの歌声を生で聴いてみたい。
あの楽しいおしゃべりも。。。。

楽しみがまたひとつ増えた。

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ヘブン・アーティスト

お天気がすばらしくよかった日曜日。

東京藝術大学の奏楽堂。
パイプオルガンやチェンバロのミニコンサートが日曜日にはある。
精神的に疲れたときには、やはり音楽に限ると思い、出かけた。
演奏者は芸大の学生さん。入館料だけで楽しめるとあって、けっこうな人気がある。

さすがにお上手。
フジコ・ヘミングさんとまではいかなくとも、もう少し人生経験を積めば、すばらしい演奏家になられるのではないかと思いつつ、日ごろの疲れのせいか、心地よい音楽のせいか、ややうとうととしてしまい、演奏家の方にはたいそう失礼なことをしてしまった。ごめんなさいである。

その後、風邪をひいたという母の見舞いのため、上野駅へ向かう。途中、上野公園を散歩。
そろそろ早咲きの桜が咲いていて、春がそこまできている感じ。こういう日は、歩くのが楽しくてたまらない。

ちょうど上野公園の真ん中あたりにさしかかったときである。
うん?妙なる音楽が、、、、。
ふりかえると、ひとだかり。ストリートミュージシャンである。

なにやらノボリがひらひらとしていて、「ヘブンアーティスト 東京都」と書いてある。
ちゃんと東京都に選抜されて、アーティストとして登録している方らしい。

ギター一本にアンプをつなげてひいている背の高い方がかもし出す音楽は、確かに「ヘブンアーティスト」の名に恥じないもので、思わず立ち止まって、人の輪に入ってしまった。

細い長い指がギターの弦を魔法のように操っていく。
ギターだけなのに、パワフル。それでいて、心にしみる何かがある。

不覚にも涙が出そうになる。なんでしょう、これ、という感じ。

そして、よく見ると、この演奏者の方は、たいそう美しい。
男性だが、「美しい」という言葉がよく似合う。

ダニエル・コフリン(Daniel Coughlin)さんとおっしゃるらしい。

一曲ごとにチューニングをする。
私はチューニングしている音が好きなので、これもいい。

最後の曲が「戦場のメリークリスマス」。
ギターで聞いたのは初めて。

思わず、CD(1000円)を購入。こんな音楽を聞かせていただいて、ただで帰るのは申し訳ない気もしたし、もう一度聞きたいような気もしたから。

なんだか思わぬところで、素敵な拾いものをしたような気分。

この方がメジャーになられたとき、彼の演奏を上野公園で聞いた方々は、自分がどれほど幸運だったか、感謝することだろう。


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Across the Universe

春分の日
昼の長さと夜の長さが同じになる。
そして、これから昼の長さがどんどん長くなっていく。

柔らかな日差しは、あっというまに強烈な夏の照りつけになり、そして、またそのうちに、穏やかな秋の日差しになって、また冬がやってくる。

そんな繰り返しの中で、人は出会ったり別れたり、新しい命が生まれたり、消えていったりする。

最近、近いところで、新しい命が誕生した。(詳細はこちら
まだ写真でしか見たことがないけれど、かわいらしくて、見ているだけでこちらがうれしくなるのが不思議。おなかにいるときから知っている赤ちゃんの誕生は、とても他人事とは思えない。

その一方で、消えていく命もある。
突然の訃報を聞くと、ご本人の無念さとそのまわりの方々のご心痛はもとより、その後にまわりの方々にふりかかってくる膨大な事後処理を思うと、とても他人事とは思えない。

「あなたのお葬式のときに、どんな人だったと言われたいですか?」という質問は、今の生き方を自問するにはとてもわかりやすいので、悪くない質問である。

けれど、それは「人から見た自分」であって、「本当の自分」であるとは限らない。
本当の自分がどんな人間であるのかは、ほんの少しの「心の違和感」に意識をきちんと向けるようにすると、少しずつわかってくる。

最近、ネガティブなこと、自分の本心と違うことを言うと、心がきしむのを感じる。
事実をそのまま口に出すと、ネガティブに聞こえるようなことが多い中で、自分の心のきしみとどう向き合えばよいのか、思案中である。

いま、ここ、に生きていれば、そのような「きしみ」はなくなるのかもしれないのだが、凡俗ゆえ、なかなかそれが難しい。

不思議なことが世の中にはある。

NASAは、設立50周年を記念して、北極星(North Star)に向けて、ビートルズ(The Beatles)の「Across the Universe」を発信した。GMT5日午前0時(日本時間5日午前9時)、北極星に向けて光速(秒速約31万km)で発信したそうだ。地球から431光年の距離にある北極星に楽曲が到達するのは、431年後になるとのこと。

不思議なのは、その日、そのメッセージが、遠い宇宙に向かって発信されたその日、その歌詞の中にあるサンスクリット語の言葉 'Jai Guru Deva, Om...' をビートルズに教えたといわれるMaharishi Mahesh Yogiが、瞑想しながら静かにその肉体を永遠に離れたということ。

ただの偶然といえば偶然かもしれないけれど、何かを感じるのは私だけだろうか。

ほんの少しだけ、意識を少しだけ、高いところに持っていって、ものごとを見つめなおしたい。


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光の旋律

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ニューヨークから一時帰国している友人に会った。
彼女は、もともとスピリチュアルな方で、とても美しい人なのだが、今回お会いしたら、ますます「透き通るような人」になっていて、驚いた。ちょっとしゃれた喫茶店でおいしいお茶とケーキを頂く。

そのスピリチュアルな方が連れていってくださった「コンサート」がまた驚きだった。

奈良裕之さん
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地球交響曲第6番」で、釧路の平原で弓のような楽器を鳴らしていた方である。
まさかその方のコンサートに来られるとは思いもしなかったのだが、そう思い込んでいたのが不思議なくらい、素敵な体験をさせていただいた。

場所は、三鷹にある沙羅舎B1F 「舞遊空間」というところ。
なかなかおしゃれなたたずまい。

入ると、カレーのよいにおい。コンサート終了後に奈良さんお手製のカレーによる懇親会があるとのことで、奈良さんは、長い髪を後ろでくくって、シェフ業に勤しんでおられた。

そこで少しおしゃべりをしてから、地下の会場へ。

Instrument
さまざまな楽器がしつらえてあって、ワクワク。

このコンサートは、「寝て聞いても」「踊っても」よいそうで、好きなようにしていてよいのだそうだ。

というわけで、私も途中から仰向けに寝て楽しむ。パーカッションが中心なので、からだ全体でその振動を楽しむことができるらしい。

しかしながら、正直にいうと、何がどうなったのかよくわからないのであるが、気がつくと私は、首に両手をあててもみほぐしていた。首がこっていたらしい。そして、腰も痛くなってきたので、ブリッジをしてみたり、足をあげてみたり。。。。

どう考えても、「音楽鑑賞」をしているようではないのだが、踊っている人がいたり、泣いている人がいたりして、それがなぜかちっとも不自然ではなく、もちろん、不愉快でもない。

不思議な世界。

あとで奈良さんにお話をうかがったら、これまた不思議なことをおっしゃる。

即興での演奏は、自分がやっているという感じはなくて、他人事のように感じます。だから、何をどうやってやるのか考えていないし、覚えてもいません。何か流れがくるから、自分の体を差し出して、使ってもらっている、という感じでしょうか。

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この方のパートナーがまた素敵な方。
似ているからパートナーになるのか、パートナーになったから似たのかわからないけれど、お二人はとても自然で、ふんわりとあったかい。
α波が出っ放しではないかと思うようなお二人といると、それだけで心の中がほんわかとあったかくなる。
不思議な感じ。

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そして、夢のように過ぎた2時間あまりの後、カレーディナーへ。
玄米菜食なのだけれど、これがまた、信じられないくらいにおいしい。

カレーには、大きくコロコロにカットしてある野菜やチーズや厚揚げがはいっている。リンゴにバナナも。。。。

サラダもパスタも素敵な味で、レシピがほしい。
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今日から玄米菜食になってもいいと思うくらいのおいしさに、からだの中から癒される体験をしたのであった。
コンサートでは外から癒され、お食事で中から癒される。

このヒーリングパワーはいったいどうしたことだろう。

必要なものは、いつも最適なタイミングでやってくる。
今、私に必要だったのは、これだったのかと一人で納得。

いつか、こんなふうに人を癒してあげられるようになるといい。
(シタールの練習ももっとがんばろうと、何十回目かの決心をするのであった。。。「流れ」がきても、楽器を自在に操れなければ音が出ない。。。。)

機会があったら、(というか、こういうのはご縁があると引き寄せられるそうなので、ご縁があったら)、ぜひ、コンサートにいらしてください。人によってさまざまな体験ができるようです。あちこちで企画されています。


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call me

本日は、いろいろと大変な一日で、やっといま一息ついて、頭を休めている。
いろいろなことがあるなあと思いつつ、ひとつひとつ最適の解を探す。

どこをどうやってたどったのか忘れてしまったけれど、「桜の花」のココログデザインが同じだった方のブログで紹介されていた曲がとても気にいったので、紹介したい。

「Call me」というのがタイトル。
「Just when I needed you most」という曲のほうが有名だけれど、こちらは、「恋人に去られてしまった」話なので、疲れたときに聞くのは「Call me」のほうがいい。


この歌手の方(Randy Vanwarmerさん)は、もうお亡くなりになっているみたいで、残念。
でも、会ってみたかったと思う方が多いのは、幸せなことと考え直す。

今、この世で同じ星の上で、偶然出会えている人たちを大切に、本当に大切にしなければと思う。

皆さん、そこにいてくださって、どうもありがとう。

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清澄庭園へ

小春日和の土曜日。

清澄庭園にて、邦楽の集まりがあって、出かけた。なんと、民族楽器の部でゲスト出演させていただけるとのありがたいお誘い。大きなシタールを抱えて、地下鉄に乗る。いつもはあまり気にしていないのだが、こうしてみると、シタールは大きい。しかも繊細。ちょっとの温度や湿度の違いで音は簡単に狂ってしまう。

気持ちのいいお天気に感謝。雨が降っていたら、タクシーで行こうと思っていた。半蔵門線の新しい駅なので、エレベーターがある。よかった。文明の利器はやはりありがたい。

清澄庭園の中に大正記念館という建物があって、そこが会場。
気持ちのいい庭園をバックに、謡や横笛や鼓など、日ごろの鍛錬の発表会。日本の芸術はやはりなかなかいいもの。たっぷりと堪能させていただいた。

民族楽器は、アボリジニのデジュリデュとシタール。有機野菜のお仕事をしている方が吹くデジュリデュはなかなかの迫力。私のシタールは。。。練習意欲をかきたてていただけて、よい経験をさせていただいた、というしかない感じだったのだが、そのあとの狂言があまりにもおもしろくて大笑いして、そのようなことはすっとんでしまった。言葉もよくわかって、内容も楽しかった。こういうのはいい。

最後の特別ゲストに白拍子という舞。桜井真樹子さんが歌いながら舞う。白拍子は平安時代の舞だそうだが、この方が仏像やら書物を参考にして復元を試みておられるそうだ。つまり、この方が「家元」というわけだ。

その場で懇親会。せっかくなので参加させていただく。横笛がすばらしくお上手だった方の隣にすわる。聞けば、なんとその横笛は自作なのだという。吹いておられるその姿は、まさしく笛と一体だった。ふだんは多忙のサラリーマンをしておられるそうだが、腕前は趣味の域を超えている。

見習わねばと思う人たちがたくさんいてくださるのは嬉しいことだ。日々の激務をこなしながら、これだけの芸を身につけることは可能だということ。

いつか、そんな風に思ってもらえる人になりたいものである。

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