方法日本

謹賀新年

今年は宇宙年。
なぜって、宙の字に少し足せば、寅になるから。

日本文化は「負からの出発」、足りないところから想像力が沸き起こり、創造へと導かれる。

たとえば、日本舞踊の踊り手は、声なし、表情なしで、動作も限られている。
しかし、見ているほうには、ちゃんと気持ちが伝わる。

今年のお正月は、松岡正剛さんの「連塾ー方法日本」という本を2冊読んだ。
日本を理解することが、いろいろなことを構想するとき、興すときには必要だろうという想いと、
危機的状況の日本をどうすればよいのだろうかと考えるときのヒントがほしいという想い、
その他もろもろのことがあったときに、たいへんよいタイミングで出会った本だ。

この本は、松岡正剛さんが、連塾で講演された内容をまとめたもので、読みやすいのだが、たいへんに中身が濃い本ゆえ、まだ咀嚼中である。(たぶん、ずっと咀嚼が必要であろう)しかし、浅薄な理解なりに、たくさんヒントをいただいた。

日本は方法であって主題ではないという捉え方など、目からウロコ。

この連塾には、ちょっと有名な方々が参加しておられた様子。鳩山総理大臣も、それほど忙しくなかった時代(2004年あたり)に参加しておられたのだそうだ。

WEBで「千夜千冊」も読めるけれど、やっぱり、縦書きの本で読むのがいい。

今年は、日本を学びたい。そうして、何かの形にできたら、と思う。


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ガンダムエースに登場

恥ずかしながら、ガンダムエース7月号に写真入りで登場。
冨野監督との対談(恐れ多いことだが)の記事。
お送りいただいて、ありがたく読ませていただいた。

写真が大きい。
私の顔は、なんとN先生の顔より大きい。
まさかと思ってみていたら、もっとまさかのことが、、、。

私の名前が違っている。
「川島レイ」でなく、「川嶋レイ」さんになっている。

ご担当の方に連絡すると、たいそう恐縮したお返事が返ってきた。

何度見直しても、ミスはある。
これは私も経験があるので、とても人様を責められない。
しかし、たいそう目立つ場所でのミスなので、自分が編集の立場だったら、落ち込むだろうなあと思う。

私としては、冨野監督とお話できただけで感激なので、名前のミスなど、小さなこと。
どうぞ気になさらないでくださいね。

キューブサット物語~超小型手作り衛星、宇宙へ」の宣伝もしていただけて、感謝。

上がれ! 空き缶衛星」は、6月に再販されなければ、絶版になるらしい。(と新潮社さんから通知があった。お求めになりたい方はお早めにどうぞ)

初めてのカンサット実験から8年。
強烈な体験も、風化していくのだろうか。

登場人物たちは、もうみんなオトナになったけれど、あのころのキラキラした情熱は、まだ持っておられるだろうか。人生こんなものさ、という悪魔のささやきに耳を貸していなければいいけれど。

冨野監督との対談中、ずっと感じていたのは、「宇宙開発がこんなものであっていいわけがない」という監督の熱い想いだ。

その想いに応えることができるのは、GSE(Genuine Space Engineer)だろう。

ホンモノで居続けることは、どの世界でも難しい。できない言い訳はいくらでもみつけられる。志を持っていても、すぐにまわりに引きずり落とされる。志を持ち続けるには、孤高の人でいる覚悟が必要だ。

日本は、「成功したら妬まれ、失敗したら蔑まれる」文化を持っているのだそうだ。(加藤諦三氏の著書「格差病社会―日本人の心理構造」より)

だから、勝っても負けても幸せでない。うまくいっても失敗しても幸せになれない。

そんな文化はもうたくさんだ。
「成功したら祝福され、失敗したら励まされる」文化を持つ社会のほうが、どんなにか幸せに過ごせるだろう。

まずは、自分から。
人の成功を心から祝福し、失敗した人を暖かく励ます。(注:甘やかすのではない、念のため)
そんな温かな場を創れるといい。


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生かされて。

あまりに衝撃が大きいと、反応が出るのが少し遅れるらしい。
それくらいのインパクトを与える本である。

100日間で100万人。

ルワンダで起こった大量虐殺で犠牲になった人たちの数。
百万都市まるまる一つ分の人たちが3ヶ月でいなくなった。

1994年の春から初夏にかけてのことだ。

ちょっと重い話なので、続きは読みたい方のみどうぞ。

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それでも人生にイエスと言おう

「それでも人生にイエスと言う」
ナチの強制収容所で奇跡的に生き残った、ヴィクトール・フランクル先生の著書。収容所を出た翌年に講演をされたものを元にしているので、読みやすく、しかも内容の重さと深さはそのまま伝わってくる。

今世紀になってから、フランクル先生の代表作である「夜と霧」の新版の翻訳が出た。「世界がもし百人の村だったら」で有名な池田香世子さんが翻訳をされている。

「夜と霧」は、心理学を学んだ医師として、収容所暮らしを振り返る手記。
ごく普通の暮らしをしていた良識ある市民が、地獄のような収容所に送られてからの話を、記憶を頼りに再現している。ひどい扱いを受けているところや、餓死寸前の身体で強制労働をさせられているところなど、胸を突かれるシーンはたくさんあるのだけれど、乏しい想像力では追いつかないような世界だ。

筆者の絶望の中で見出す喜びが表現されているところが随所にある。つらかった、苦しかったという何倍もの哀切をもって、読む者に届く。

収容所に入れられ、真っ裸にされて、体中の毛を剃られ、人間としての尊厳をすべて奪い取られたときに、シャワーから水が出たときのこと。ガスでなく、本物の水が出たときにあがった歓声。

一日一食だけ与えられる食事は、薄いスープとパン。パンをひとかけら残しておいて、冷たくぬれた靴にむくんだ足を詰め込む、朝の一番つらいときに「むさぼり食う」幸せ。

病気の時に強制労働に行かずに休んでいることが許されるときの幸せ。地べたに身体を寄せ合ってぎゅうぎゅうの空間にただ転がっているだけ。うつろな目に見えようとも、生ける屍に見えようとも、うつらうつらとしていられるその時間は、幸せだったのだという。

夕陽が沈む美しさを、強制労働の合間に鑑賞する喜びは、普通の人が感じる喜びの何十倍もの喜びになる。

愛する人との空想上での会話を楽しむ喜び。そのとき、愛する人はとっくに死んでいたのだけれど、愛する人は確かに彼と話をしていた。愛は生死を越えるのだろうか。

人生に何を期待するか、ではなくて、人生があなたに何を期待しているかという問いへのコペルニクス的転回。人生に期待しても、答えは得られない。それは誰もが多かれ少なかれ経験していることだろう。

想像を絶するような生活の中で、内面的に成長していけた人間もいたこと、ナチス側にも隠れて助けてくれていた人がいたこと。どんな立場でどちら側にいるかということよりも、結局は「どんな人間なのか」ということが常に問われる。

もし自分だったら、その状況で、いったいどんな態度を持てるだろうか。

「それでも人生にイエスといおう」、というのは、当時の収容所で歌われていた歌の一節だという。

どうしようもない境遇や状態にいると思う時、それでも人生にイエスと言う。それは、たぶん、決意の問題だ。イエスと言って、受け入れる。そして、そこから進む。

この態度はもしかしたら、今の日本や世界や私たちの日常生活にいたるまで、必要なことなのかもしれない。

世界の軍事費が128兆円。多くの人が殺されるために使われるお金だ。

【ロンドン共同】スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が12日発表した2006年版の年鑑によると、」05年の世界の軍事費は、米国の対テロ戦争に絡む軍事支出の伸びが影響し、推計で、前年比実質3.4%増の1兆1180億ドル(約128兆円)に達した。米国だけで全体の半分弱を占め、5%前後で続く英国、フランスを大きく引き離し突出。

[共同通信社:2006年06月12日 19時20分]

日本の借金は771兆円。借金時計を見ると、刻々とその借金が増えているのがわかる。

自然破壊はどんどん進んでいる。アマゾンの熱帯雨林は大豆畑になり、アラスカでは森林火災が頻繁に起こり、お隣の中国では砂漠化がどんどん進行しているという。

・・・それでも、人生にイエスと言おう。
そして、前に進もう。

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