ゴーギャン展
久しぶりに絵を見に行くことにした。
お目当ては、ゴーギャン。Paul Gauguin。
竹橋の国立近代美術館へ向かう。
雨もあがった昼下がり。暑くもなく寒くもなく、気持ちのよい気候。
ゴーギャンはタヒチの作品でよく知られている画家。暖かな色使いがいい。
画家の生涯がどんなものであったのかということを知ることと、絵そのものを鑑賞することとはあまり関係がないと思うけれど、(つまり、よい絵から伝わってくるバイブレーションを感じるのは、背景知識がなくてもできる)なぜ彼がタヒチへ赴いたのか、そこで何を感じたのか、などを知るのは大変興味深い。
30歳を過ぎてから画家になった彼は、この世界では遅咲きといっていいだろう。
印象派のやわらかな絵から、ブルターニュ地方で開花した彼独自のスタイル、そして、タヒチ時代の絵。
タヒチでは、緑の色が濃くなり、オレンジ系の赤がより強烈になっている。
タヒチでは13歳の女性といっしょに暮らしたという(当時彼は43歳)。タヒチでは13歳はりっぱな女性だったのだろう。
タヒチで満足のいく絵を描いて、それを持ってパリへ凱旋。。。のはずが、パリでは酷評され、絵も売れずに絶望した彼は、二度と戻らない決意で再びタヒチへ。そこで娘の死を知らされ、さらに絶望したという。最期はマルキーズ諸島の小さな島で54歳で亡くなっている。
遺書として書いたという「Dou Venons Nous, Que Sommes Nous, Ou Allons Nous (我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という大きな作品は圧巻。
絵というものが持つ力、言葉では決して伝えられない何かを感じながら、インスピレーションがアタマの中で炸裂する。
ああ、この感じ。久しく忘れていたような気がする。
これを見ただけでも、行ったかいがあったというもの。
ゴーギャンの世界に酔いしれつつ、工芸館と常設展のチケットもついているとのことで、400メートルほど離れた工芸館へ向かう。ついでに北の丸公園をお散歩して、雨上がりの植物のにおいを存分に楽しむ。ここが都心とは思えない。
常設展では、梅原龍三郎氏の「北京秋天」をはじめとする日本の画家たちの傑作に感動。うーん、近代日本画壇もなかなかよろしい。現代アートは、あまりよく理解できなかったけれど、、、。
ゴーギャンといえば、ゴッホと暮らしていたので有名。彼の耳きり事件をゴーギャンはどんなふうに感じたのだろう。想像の種はすばらしい芸術のまわりにはいくらでもある。
Recent Comments